西方見聞録...マルコ

 

 

抜き差しならない私たち - 2002年12月28日(土)

 28日は前の職場の友人と目白でランチをした後、中学時代の友2名(9月に出産したばかりの3ヶ月児連れと来年3月に出産予定の妊婦さん)と寄り合いを持ち、私の実家でお茶をする。

 友との再会事業もダブルヘッダーである。

 東京の友は総じて晩婚か、結婚が早くても母になるのがゆっくりだ。

 激しい人が多かったNGO業界ではそもそも子どもをもたない選択をする人も多かったし、子どもも40歳になってから産む人が多く、35歳現在2人産んで、もう打ち止めを宣言している私は「若い母」である。奈良の保育園ではいきなり長老グループ入りではあるが。

 29日は修士課程のときの友人男@36歳が23歳のうら若き乙女と結婚したのでそのお祝いパーティを銀座方面で行った。 夫あめでおと妻マルコはこの修士時代の同級生なのでここは夫婦そろって参加。

 朝、あめでおが夫実家から私実家まで迎えに来ておKと若干の荷物を持って銀座へ。娘1号は少し体調を崩しているので夫実家でお留守番。

 ところで、約10名参加予定であったが5名ドタキャンした。

 2カップル4名が子どもの病気および妊婦の不調であった。そのドタキャン者の中にこの宴会の幹事も含まれていたので、わたしが急遽幹事の代理を勤めることになった。

 私は思ったね。子どもが小さかったり妊婦だったりする間は銀座なんかで飲んじゃいかん。誰かの家でホームパーティ、ドタキャンOKじゃなきゃやってられない。

 50歳くらいになって仕事も子育ても親の介護も落ち着いて抜き差しならない状態が終了したら銀座でどんちゃん飲むのがよろしい。




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