父母来襲 - 2002年11月05日(火) さて私の実家両親が5日より拙宅を来襲。 実家父は冷静沈着な男で、実家母は猪突猛進な女と形容しておこう。ふたりとももうかなりいい年で半分引退しているが、父母ともにバリキャリな職業人だったので、おハイソ臭をぷんぷんさせている。 このおハイソな2人組は私が夫@あめでおとジミ婚したことも、その後暮らした稲田堤のスイートホームが築35年の2DK1戸建ての文化住宅だったこともかなーり心を痛めていた様子。 しかし今度の新居は稲田堤のスイートホームとあんまり違わないお家賃なのに新築マンション3LDK、その上リビングは25畳もあり、ルーフバルコニーでは自転車も乗れちゃうと言う大変優良物件であったため(まあ東京と比べて住宅事情がよろしいということですが)心のつかえも取れたようでござった。めでたい。 この両親は、わたくしが結婚した折、稲田堤の文化住宅があまりに狭かったため 嫁入り道具を持たせてやれなかったことがトラウマになっている。その埋め合わせとして、新居を見て足りない物を何でも買ってくれるというのでカーテン、土鍋、客用の茶碗、お皿、コップ等をそろえてもらうことになった。 そんなわけで5日、東京から到着した両親は私と隣町のサティへまずはお買い物へ繰り出した。 翌6日は実家両親と娘2人と私の5人で法隆寺を拝観。私もはじめて拝観料を払って内部まで入りました。国宝の仏像がとにかくごろごろしているのであちこちの仏像に様々な願をかけた。 子どもが元気に成長しますように、私の就職活動がうまく行きますように、などなど。 しかし百済観音の展示室ではあまりにその神々しいお姿に思わず「世界が平和になりますように」と我欲を捨てた祈りを捧げてしまった。 父はこの日帰京。母はもう1泊して、7日私が職安へ雇用保険受給説明会に行く間、娘2号を子守りしていてくれる。 職安から帰宅し、帰郷する母を駅まで送る。途中、娘1号を保育園に迎えに行き、駅で女3代、正月までしばしの別れを惜しむ。 ...
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