■北米版SEEについて(本編感想)
■日本語版SEEについて
☆DVDの到着
アマゾンに注文しておいた指輪の映画のSEE(スペシャル・エクステンディッド・エディション)の 日本語版が届いた。二週間ほど前に、アルゴナス像つきUS版を購入したのと全く同じものである。 ほぼ同じ値段だが、US版の方がおまけがたくさんついていて、楽しい。 しかし、US版には本編以外のコメンタリーとか特典映像に英語字幕がつかないので、 こればっかりは私の英語力ではいかんともしがたく、日本語版を購入することになった。 (そのうちクローズドキャプションアダプターを買っちゃうかもしれない。)
さっそく再生してみた。買ってよかったと思った。 というのは、このSEE・DVDには4種類の音声解説がついているからだ。 これは本編再生とは別のトラックに、映画を見ながら解説する音声が入っているもので、 監督のピータージャクソンと他の二人の脚本家が話しているもの。 アラン・リーやジョン・ハウを含むデザインチーム8人が話しているもの。 制作、音楽、SFX監督など、製作・ポストプロダクションチームが話しているもの。 それから、ヴィゴ以外の旅の仲間8人とリブとリー様が話しているものがある。 それぞれ三時間半、しゃべりっぱなしで、全部見るには14時間かかるのである。 (本編再生は別に計算して。)日本語字幕は本当にありがたい。
特典映像も別のDVDディスクに6時間収められている。 だから、全部見るにはほぼ24時間かかるわけだ。
☆音声解説(キャスト編)
30分の追加映像の入った本編はすでに何回か見ているので 音声解説の方を見た。監督かキャストか迷ったあげく、キャストの方をまず見た。 監督編もPJはあの調子で語りつづけるので、これもまたすごく楽しみなのだ。
ホビット四人組(イライジャ、アスティン、ビリー、ドミニク)は4人一緒に話をしている。 オーランドと、ジョンと、マッケランとリー様とリブとショーン・ビーンは 多分それぞれ別に録音して、それを組み合わせてひとつのトラックに入れてある。
素で語る俳優達。しかも三時間30分というのは、なかなか興味深い。 自分達の演技、共演者の演技について語るのも聞けるし、 撮影の裏話、スタッフへのねぎらいの言葉も入る。しかし何よりも、役柄を離れた 俳優達の性格みたいなものが、声にあらわれているのがおもしろい。
4人のホビット達はやはり若い。わいわいがやがや、冗談交じりに話している。 その中でショーンアスティンは、製作者的立場から語っているのが印象的だった。 イライジャはさすがに年齢差があるので、ちょっとオミソ気味だけれど、 俳優としてのキャリアはもしかして四人の中で一番長いんじゃないかしら。 オーランドは、落ち着いた話し方で思ったよりもずっと奥深い感じがした。 冒頭、ヴィゴとの共演について熱く語っているのがかわいかった。 ジョンはドワーフのメイクで肌が荒れて、撮影中部屋に引きこもる事が多かったそうだ。 他の俳優との交流は少なかったと言うが、語りはとても暖かい。 リー様はやはり超然としている。指輪物語を一番よく読みこんでいるので 映像を見ながらいろんなことを言いたい感じだった。 マッケランへの言及がリー様にしては踏み込んでいるように思う。本当に誉めていた。 サー・イアン・マッケランの視点は、他の俳優よりも濃やかな感じがする。 彼をガンダルフに得たことで映画がいっそう良くなったと思う。 リブ・タイラーはここでも浮いてると思う私は、ちょっと彼女に厳しいかしら。 で、なんでヴィゴはこの語りに参加していないのかしら。残念。 ショーン・ビーンの語りはさほど多くないけれど、大事な場面には必ずコメントが入る。 彼の声は『B20』の時と同じく聞いているだけですてきだ。 俳優としての自信と、ボロミアという役柄への愛情を感じる語りだった。 彼は詩人ではないけれど、まるで詩のように聞こえた。
☆特典ディスク2
監督のコメンタリーを聞きながら昨日は寝てしまったので 今日は気分を変えて、特典映像の方を見た。 特典ディスク二枚目には、「旅の仲間」と称して、PJと俳優同士の相互のコメントが入っている。 この中にはコメンタリーと重複している部分もある。 それぞれが仲良さそうで見ていて楽しい。 心配症のショーンアスティンとか、仲良しヴィゴとビーンとか。 サー・イアン・マッケランが語る。 「私はクリストファー・リーを軽く見ていた。なぜなら彼はあまりよくない映画にでていたからだ。 でも共演してみてそれが違う事がわかった。」(正確な引用ではありません。) これは誉めているのかなんだかよくわからないが、率直に語っていると思うべきか。 対するリー様は、カミングアウトした俳優としてのサー・イアンにそこはかとなく 配慮したコメントをしているので、お互い様というべきか。
このほかには、ホビットの扮装にいかに時間がかかっているか、というような映像や 編集の大変さや、ホビットの小ささを表すためのトリック撮影の説明とか 音楽についての解説があった。どれもこれも興味深い。 わずかなシーンにものすごい手間と時間と愛情がこもっているようだ。 それぞれが組み合わさって一本の映画ができているんだなと思った。
原作を読まないで、最初にこの映画を見たときに、 バランス感覚をくるわせるような映像だと思った。 何回も見ているうちに慣れてわからなくなったけれど。 それは、強制遠近法や、別撮りして組み合わせた映像の わずかな違和感を感じたせいかもしれない。 とても上手に作ってあるけれど。
☆ディスク1(感想その1)
このディスクには、原作からどのように映画を作っていったかという過程が 丁寧に語られている。映画製作がきまってからすぐにカメラを回すわけではない。 まず脚本で骨組みを作る。その作業に最も時間がかかる。逐一映像化していては映画にならない。 取捨選択と換骨奪胎の作業が必要だ。しかし作品のテーマだけは見失わないようにしたとのこと。 脚本ができたら(撮影中に常に改変が繰り返されたとのことだが)監督がコンテを描く。 監督のラフスケッチを、コンテに描いて陰影をつける人がいる。 次にその絵コンテを、実際の映画のような時間配分で撮影したものを作る。 その映像に、脚本を仮の俳優が演じたものを録音する。 こうやって、映画の概略をつかむ。さらに舞台の模型を作って、カメラのアングルを検討する。 模型で撮影した映像を、絵コンテのフィルムに挿入する。 実際のセットが組み込まれて、いざ撮影という時には、カメラの位置や移動の経路は 既に決まっていると言うわけだ。 CGによる映像にはスターウォーズのスタッフの協力も得ていると言う。 彼らの作業を学習し、PJはスタッフを集め、この映画に取り入れている。 CGであらゆる角度からの映像をシミュレートし、最も効果的なものを採用する。 大きい人と小さい人の大きさの違いを映像化するための 大小セットの合成については、スタッフで仮撮りし、検討を加えてから 実際の撮影を行っている。
長時間の映画三本分を同時進行で撮影していくので、最初にこのような準備作業をしないと 予定通りに進行することはできない。このように準備してもなお、現場では不測の事態が起こるし 実際やってみたら、違う案が採用されることもある。さらに、俳優達や、スタッフの話し合いで より良いものができるよう、常に変更されていったそうだ。 その全ての中心にPJがいる。彼の語りはよどみなく論理的で面白味にかけるくらいだが、 これだけの作業を進めていくパワーはただものではないと思った。
☆特典ディスク1(感想その2)
さらに物語の映像化を助けるのが、様々な部門のスタッフだ。 表面に出てくる名前はわずかだが、たくさんの裏方さん達がいる。 その誰もが、熱意をもって、製作に携わっている。 コンセプチュアルデザイナーにアラン・リーとジョン・ハウを迎えたことも幸運だった。 PJはおたく精神を発揮して、このふたりに、いろんな希望を出している。 「この絵の見えない部分を書き足してくれ!」「この家の別の部屋も描いてくれ!」 そして実際描いてもらってそれを映像化している。これはおたく冥利につきるのではないか? 映画に映っても細かいところまで全て見えるわけではないが、 剣や甲冑には、それぞれの種族の言葉で、守護の言葉などが刻まれている。 それぞれの紋章も決められ、それぞれの文化の基本概念が設定されている。 たとえば、ドワーフのデザインは四角で統一されているし、エルフは流れるような曲線だ。 それぞれの種族には固有の歴史がある。エルフは長い時間をかけて衰退していく。 冒頭の戦いの部分ではエルフの甲冑は若草の緑をベースにしているが、 裂け谷の場面では常に秋のイメージだ。 初期の甲冑は一体成型の技術がないという設定なので、パーツを組み合わせてある。 原作を読み込んだアラン・リーや甲冑に詳しいジョン・ハウの意見が反映されている。 そういことを知った上でもう一度映画を見てみるのも楽しいかも。
ヴィゴがいろんな部門に名前が出てきていた。一番重い剣を常に携帯して、 剣の重さに慣れようとしたこと。そういう役作りを見ることは、スタッフにとってもうれしいことだそうだ。 衣装もヴィゴがいろいろ意見を出して、ああいう形になったとのこと。 スタッフ部門に挿入されている彼のインタビュー映像はとても素敵だ。 ヴィゴが演じるだけではなく、作品世界を深く理解しようとしているのがわかるから。 そういう意味でリー様も、まるでトールキンが監修しているかのように 現場でいろいろチェックしている感じがして素敵。お目付け役。
表面に出ないトラブルも問題もあっただろうと思うけれど、 総じて原作への敬意と愛情と、映画を作り上げる熱意を感じる作品だと思う。 (これであと2本が第一作並におもしろかったら万々歳だ。)
☆音声解説(監督・脚本家編)
この音声解説では、監督・脚本・製作のピーター・ジャクソン、彼のパートナーで 製作・共同脚本のフラン・ウォルシュ、共同脚本のフィリパ・ボーエンが語っている。 いやー・・・これが一番、クセモノかも。 PJの語りは常に安定している。彼のしゃべり方は、声のトーンが一定していて 内容はとてもおもしろいんだけれど、一時間も聞いていると、眠くなってしまう。 全然ペースの崩れない人なのだ。だから映像がどんなに感動的な場面でも ここはどこそこの公園で、いつ撮ったというような話を平気でしている。 フランは、表には出ない主義なのだそうだ。しかしここでは解説に参加している。 フィリパは特典ディスクで出演している。フィリパの映像を見たときに あ、これはけっこう気の強い女の人だ。と見た途端に思った。 ところがどっこい、音声だけだけれど、フランはさらにその上を言っている。 気の強いしっかりした女性二人に突っ込まれるPJ。 クラス委員の女の子二人に囲まれるオタク少年PJ。 二人に囲まれても、結局好きなように趣味に走っているマイペースPJの図。 フィリパ・ボーエンは、アラボロの言い争う追加シーンをさして 「恋人同士のけんかのように」と表現していた。ああ、この人が日本に生まれていたら 腐女子としてコミケに参加していただろう。原作のボロミアの最期はもの足りなかったから 映画のシーンはよくできたと思うと語っていた。 この女性二人が加わった事で旅の仲間の描写には深みが増したが 反面、女性の描写が薄くなってしまったのではないだろうか? だからアルウェンもエオウィンもアラゴルンに剣で詰め寄ってしまうのだ。
ボロミアの最期の場面で流れる歌は、原作のファラミアのセリフからとられているそうだ。 「私は剣をその切れ味のために愛しはしない。剣が守るもののために愛するのだ。」 そういうところのセンスは最高なんですけれどね。
☆音声解説(デザインチーム編)
デザインチーム編の音声解説にはアラン・リー、ジョン・ハウを含む 8名のコメントが収録されている。自分の役割に応じた視点からの語りとともに、 役割を越えた協力体制があったことを、どの人も熱く語っていた。 彼らの語りは、目の前のドラマを通り越して、背景や衣装や建物や武器や小道具についてのものだ。 そういう視点もこの映画をさらにおもしろくしてくれると思う。 コンセプチュアルデザイナーの二人は、イラストのタイプが違うように 本人のビジュアルもそれぞれの絵を髣髴とさせるものだ。 アラン・リーは繊細な感じがするし、ジョン・ハウは力強い個性を感じさせる。 しかし語りを聞いていると、ジョン・ハウという人もやはり芸術家肌の人だなあと思った。 ホビット庄では、のどかな風景のデザインはアラン・リーが、袋小路屋敷の内装は ジョン・ハウが担当したそうだ。彼はこの建物に、まだ行ったことがないイングランドの田舎の イメージを盛り込んだと語っている。(ロンドンは何度も行ったそうだが) ビルボの書斎は自分のあこがれだとのこと。(ちなみにこのセットは破棄せずPJが買い取ったそうだ。) 古代の武器が人をひきつけるのは、素朴な形の中に昔の人の情熱を感じるからだと彼は語る。 使い古されたイメージにとらわれることなく、実用と美しさを考えた武器をデザインし それが映画で生命を吹き込まれる様を見るのは、とても幸せだったと言う。
アラン・リーもジョン・ハウもガラドリエルを演じたケイト・ブランシェットを絶賛している。 他の共演俳優達も、ケイトのことは別格扱いの誉めようだった。 劇場公開版では、指輪に誘惑される場面ばかりが強調されたが、 今回のDVDでかなりイメージは変わっただろうか。 ジョン・ハウはサルマンを描いた事はなかったという。クリストファー・リーの サルマンを見てしまった後はもう描けないという。あまりにも強烈すぎて。(笑) 彼らのイラストがPJの映画に形を与え、この映画に関わった事が きっとふたりの仕事にも影響を与える。それを見ていくのも楽しみのひとつ。
ヴィゴがしょっている弓矢はヴィゴの希望で急遽製作したとのこと。 「ストライダーが旅をしている時に狩りをしなければ飢えてしまうだろう?」 というところまで考えるほど役に入っているところがいいではありませんか。
☆音声解説(製作その他チーム編)
これでやっと音声解説を聞き終わる。プロデューサーのバリー・オズボーンを含め 撮影、編集、音楽、特殊効果に携わった人たち13人のコメンタリーだ。 説明しないと観客にはわからない内容ばかりなので、語る方も熱がこもる。 しかし、音声解説を続けてみているので重複する話題も多く、 ちょっと見ながら意識がとんでしまったところもある。(うたた寝してしまった。) 巨大なミニチュアと、ブルースクリーンによる撮影と、CGと、マットペインティングと サイズの違う二人の役者の使い分けと、強制遠近法などを多用して 映像ではその組み合わせがわからないように仕上てあるということがよくわかった。 しかし、私は思うのだ。確かに技術は進歩している。映画やアニメはその恩恵を受けている。 でも観客もバカじゃない。CGを駆使して作り上げられた戦闘シーンがどんなに迫力があっても それは作り物だと思って割り引いてみてしまう。次々コピーして生まれた兵士が 打ち倒されても、痛みを感じたりはしない。そのへんの現実感のなさをいつも忘れないようにしないと 画面は薄くなっていく。幸いこの映画は、そういうバランス感覚には優れているように思うけれど。
たくさんの人のコメントを聞いていると、微妙に作品に対する解釈が違う事がわかってくる。 カットした場面、今回加えた場面、各人、自分のお気に入りのシーンがあり、不要だと思うシーンもある。 それは人によって違う。そういう意見を総合して最終的には監督が判断しているのだろう。 追加シーンを見ると、ボロミアとアラゴルンの人物像にほんの少しぶれがあるように思ったが、 俳優やスタッフ達の意見が完全には一致していないようだ。 それは原作をどのように捕らえているかということのずれでもある。 劇場公開版で火がついた、ボロミアの圧倒的な人気を、 もしかしたら製作者たちはわかってないかもしれないなと思った。 (もしかしたらこれって、日本国内のごく一部の人気かしら?)
リー様のキャスティングについてプロデューサーが語っていた。 最初はガンダルフの候補だったが、リー様が高齢を理由に自分で辞退した。 かわりに20才若いサー・イアン・マッケランをリー様が推薦したのだそうだ。 その話はここで初めて聞くように思う。
(過去ログを少し編集しました。)
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