■2003年02月15日(水)<映画>『LOTR二つの塔』(一回目)
先行上映を見てきました。以下、ネタバレですので、未見の方は要注意!
☆最初の感想
さてさて、海外でこの映画を見た人の感想文が、 どれを読んでも歯切れが悪かった理由がわかりました。 うーん・・・・三時間が長かったですね。 私は原作からの改変があっても、さほど気にならない方です。 その改変が映画を作るために必要であり、あらすじをなぞるよりも、 何を言いたいか、ということがはっきりさせることの方が大事。 第一作はそういう意味で、かなり上手に作ってあったし、 ボロミアとアラゴルンの対比でアラゴルンが決意にいたるまでが納得できるものでした。 『二つの塔』はストーリーがニつに分かれるので、一本の映画にまとめるのは難しい。 それにしても、この映画は何を言いたいのかわからない。 3部作の真中というのは難しいということはわかるけれど。 キャスティングは最高なのに、生かしきっていないよね・・・ ギムリの使い方とかねえ。 グリマはあんなに良いキャラなのに、どうしてあんな簡単に去っちゃうの。 リー様、うろたえるのは早すぎるぞ。ファラミアもはまってるのにね・・・ エオウィンは写し方によって、きれいに見えたり見えなかったりするから、 もっと撮影に気をつかってあげればいいのになあ。 アルウェンに馬がかぶるのは、ちょっとどうかと思う・・・ オスギリアスのシーンはそんなこんなで、まじめに語る気にもなれない。
素材はそろっているのに、料理の仕方が下手。 一作目にあった(と私は思っている)原作のスピリットは消えてしまった。 どうしてこんなことになるんだろう。一作目が売れたのでプレッシャーがかかった? それとも、誰か重要なスタッフが今作からは外れてしまったとか? 実はSEEのDVDの追加シーンに、ちょっとちがうものが混ざっていたので あれ?と思っていたんだけれど、そっちの路線にいっちゃったかな。
☆良かったところも書こう・・・
導入部分とか、アルウェンとアラゴルンのエピソードの入れ方はおもしろかった。 このふたりの将来を原作既読者は知っているわけで、そのへんを押さえた 上手な演出だと思った。アルウェンが赤い服を着て、横たわっているシーンはなかったので、 これは『王の帰還』のラストになるのかな。ヴィゴが川に流されていたけれど、 ボロミアのシーンは無いのか!?と思ったのは私だけではあるまい。 思えばショーン・ビーンの熱演があったからこそ『旅の仲間』は一本の映画として、 力をもつ事ができたのかもしれないなあ。
『二つの塔』では誰かの感情に同化するのは、エピソードが短すぎて難しかった。 フロドが支配されていくのはイライジャの演技が素晴らしいし、 エオウィンも押さえた演技で、檻の中の絶望を(アラゴルンを見て芽生えた希望もすぐに消える) とても上手に表現していたのに。 ファラミアは立っているだけで、ボロミアに姿は似ているのに 内面は違うということを感じさせる絶妙な配役なのに〜〜〜ああ、もったいない。 ゴクリは、ちょっと不思議な感じ。意外とかわいい顔をしている。(イライジャに似せてあるような) ゴクリの中の二人の対比がおもしろかったが、CGの心もとなさも少しあった。 ショーンアスティンのサムは、原作のサムの一番大事な何かが欠けているかも知れない。 大地の中からしか生まれないダイヤモンドのような、固くて強固な意志のようなものを 感じることができない。時々目つきが良くないんだなあ。 エントもアイゼンガルドの洪水も、原作のイメージを壊さないものだけれど何かが足りないのが残念。 戦闘シーンも、その戦いの激しさと、攻防のラインがどこなのかわかりにくいまま 援軍が来たら、あっさり勝ってしまってもの足りないかも。 ああ、良かったところを書くつもりが、愚痴ばかり。
☆アラゴルンとレゴラス
最初の感想には何も書かなかったけれど、このふたりの場面がやけに多かったような・・・ うーん、あんたたち何?(何と聞かれても困るだろうが) レゴラスはアラゴルンのことをとても大事に思っているんだね・・・ 第一作でアラゴルンとボロミアで描かれた「王となる決意」のラインを 引き継いで、「私も民とともに死ぬ」というセリフがでてくるのかな。 でも、あの状況で死ぬのは全く無駄だから、もうちょっと大局に立って 発言した方が王様らしいと思うけどな。 一晩たってつらつら思い返してみると、良いところもあるんだけれど それを引き立てるような、お話の輪郭がはっきりしないのがいけないのかな、と思った。 第一作にも欠点は多々あったけれど、それを補ってさらにいろいろ想像させる力があった。 今回はそれが欠けている。ほんのわずかの違いでありながらそれは大きい。 製作者達の中で、意見のバランスが変わったんじゃないか、と思うのはそこだな。 同時撮影だから、三つとも同じだったろうか。編集段階でどうこうできるレベルじゃないかしら。 そのへんを確かめに、もう一回見に行くんだろうなあ。 皮肉なことに、字幕にトラブルがなくなった本作では内容を吟味しなければ ならないようなセリフはあまり出てこないのでした。 (qualityの訳で、吹き替え版では問題があるようですが。 ファラミア理解は字幕の方が良いそうだ。) そのへんにも、密度の差が出ているかも。
☆死者の沼
原作を読んだ時に、とても印象深かった死者の沼のシーンは とてもよく映像化されていたと思う。確かこういう感じのイラストを アラン・リーの絵で見た記憶がある。 水の中に浮かぶ死者は、不気味だけれどきれい。 だけれど、あの水の中に引き込まれるのは怖いかも。 人が死ぬたびに蝋燭が一本灯るというのは、 なにかそういう言い伝えがあるんだろうか。 日本では蝋燭が消えると人が死ぬという話がありましたね。 私が見たのは『ひょっこりひょうたん島』のエピソードだったけれど、 もとは落語だったかしらん。
そうそう、PJの子供や、ヴィゴの子供がちらっと出ていたりするのですが、 ヘンリー君、もうちょっとやせたら、ヴィゴのようにハンサムになると思うよ〜
■2003年02月22日(土)<映画>『LOTR二つの塔』(ニ回目)
いやー、二回目はおもしろかったです。 一回目は、自分の中の原作に対する思い入れとか、 『旅の仲間』を何回も見てふくらんだイメージとか 他の人のファンフィクションでできあがった妄想が ブレーキになっていたんだと思います。 それが無くなってみると、とても楽しい。 その上でやっぱり足りないところもあるけれど良いところも見えてきました。
文章と映像というのは質が全然違うものなんだ、と改めて思いました。 小説を読むということは、言葉の持つイメージをやりとりすることかもしれない。 書いた人のイメージ、読む人のイメージ、一般的なイメージはそれぞれ違う。 読者のひとりひとりが、自分の持っている直接的な体験や間接的な体験をもとに 読んだお話を自分の中に再構築する。 それは他の人のイメージとは違うし、作者自身のイメージとも違う。
絵や音や映像はダイレクトにできあがったイメージを提示する。 PJの映画のビジュアルは、私の持っているイメージをはるかに超えて いろいろな情報を与えてくれる。それは、なかなか楽しい体験だと思いました。 背景となっているすばらしい自然や、それぞれの個性的な俳優さんたちは、 この映画を越えて、違う世界への入り口でもあります。
目に見えるイメージとは違って、抽象的なイメージというのは 人と共有しやすいでしょうか。もっと人それぞれでしょうか。 人間に対する信頼や、何が真で善で美なのかは、共通のものを共有しやすいでしょうか。 小説を読んでいる時に、映像的な表現が華やかな文章もあるし、 内面を深く追求していく作品もあります。文章はどちらに重点をおくのも自由自在ですね。 映画は、どうしてもビジュアルが先にたってしまうけれど。
指輪物語を読んで、私が一番心を惹かれたのは、何だったのでしょう。 なかなか一言で言うのは難しいです。PJや他の脚本家たちや製作者たちは 同じところを見ているでしょうか?国籍や文化が違ういろいろな読者が 多少の幅はあっても、指輪の中に共通のものを見ているかどうか・・・ 様々な要素がからんでいるとしたら、どこに一番惹かれているのか、 その判断はやっぱり第三部を見てからということになりそうです。
個々の登場人物の解釈は違っていても、最後にたどりついたところが 同じなら、それはそれでいいかもしれないと、今日は思いました。
☆今日の感想
セオデン王のお話を追っかけていたら、いい話でした。 現実から目をつぶっていた彼が目覚め、絶望的な状況に打ち負かされそうになりながらも 周囲に励まされて、「エオルの子よ!」と出陣していくシーンはいいなあ。 シンベルミネのことを入れたのも原作ファンにはうれしいところ。 ハマとギャムリングはなかなかよいキャスティングでした。 ハマの息子(脚本のフィリッパ・ボーエンの息子)はけっこうよく映っていたなあ。 PJとフランウォルシュの子供達は洞窟に隠れる親子として、カツラを換えて再登場。 PJは二度でてくるそうですが、まあ、見つけられなくてもいいや。 アランリーもDVDになってから確認しよう。 やっぱり蛇の舌が私は好きなんですわ。 なーんか薄ら汚れたハンカチをかみ締めつつ、エオウィンに懸想しているところが 昔のお話にはこういうキャラがつきものだったわよねえ、という既視感があります。 完全に目がいっちゃってるフロド演ずるイライジャはすごかったです。 ゴラムとの関係も含めて、けっこう評価してもいいかも。 ファラミアは親の愛に飢えた次男坊として見ればいいかもしれない。無表情がすてき。 ゴンドールの紋章の入った鎧を身に付けてるんですよね。ヴィゴもあれを着るのか。 「我々は理解できた」という場面で、やっぱり「何を理解したんだよ!」とつっこみたくなりますが。
オスギリアスの廃墟に現われる翼竜に乗ったナズグルと、フロドの出会うあのシーンは、 もう全然原作とかファンの思惑とか切り離して映像として好きです。 あの場面はフロドのファンの方々には評判が悪いのですが、あそこでナズグルに近づいた事で サウロン側が指輪がゴンドール領内にあると思い込むという伏線かもしれません。 (アラゴルンのパランティアのかわり) アルウェンは、出来る限り控え目にしたという作り。それでもラブシーンはいらないとか 王様二度も回想してんじゃないよ。と評判は悪い。リブでさえなければ、よかったんだが。 もうちょっと、エルフっぽい女優さんはいなかったのか。ヴィゴ・アラゴルンがへたれて見えるのは 選んだ恋人がリブだからというのもあると思う。女を見る目がないのかこいつ、とか思われそう・・・
三回目以降の感想を読む?
(過去ログを少し編集してあります。)
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