2002年05月29日(水)
ぼくのオヤジは典型的な仕事人間でして
だから ちびの頃とか オヤジはぼくの事が嫌いなんだろうなって
あんまり働かないアタマでそう考えていた。
お仕事忙しいんだから だからぼくみたいな
『どちて坊や』的なコドモは好きくないのであろうと。
少ぉし大きくなって、ってゆーか
社会人になって気がついた。
一人暮らしをしていたぼくの自宅電話に
時折入るオヤジのメッセージ。
オヤジ世代が留守電にメッセージ入れるなんざ
中々どうして抵抗ありまくりでしたでしょうに、と。
嗚呼 この人 ぼくの事がむっちゃ大事らしいぞぃ、と
マンツーマンでは無い動作で気づくオノレに深く反省。
ワンクッションもツークッションも実感しながら
ありとあらゆる行動を垣間見て気づく真実。
親はコドモが 大事で、ただ大事なだけで
方向性が間違ってるって事があったにしても
そりでもただ 親は我が子が大事で愛おしくて。
異論があるならば コドモの立場で考えて
パパママの考えとオノレの考えはこう違うのよ、と
説得できる術を待たなかった自分が未熟の限り。
どんな人でも 理解出来れば納得すると思うの。
プライドを打ち砕くまでが難かちいかもしれないけれど。
傲慢なモノイイですが
ぼくは 親の気持ちは解ってるんではナイかと。
自分がどんなに大事にされてるかって事くらい
平謝りレヴェルで思い知ってるんじゃないかと。
望まれるべき我が子像と
人様から見たコドモ像と
そーゆーのを履き違えてたぼくは
オヤジが死んだ時には泣けなかったの。
泣く子はカッチョ悪い子かと思ってたからね。
哀しくて辛かったけれども
人様に泣き顔見せるのが駄目な気がして。
思い返して泣くのと
その時泣くのでは
重さが違う。
カッチョ悪く泣けることが
かっこよろしいではないか。
今だから言えるから。
だから今こそ泣きなさい。
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