【復活!】ダイエットなDIARY
DiaryINDEX|past|will
「海辺のカフカ」
予約しようかな。
11桁の番号のはがきがウチにも来た。
透かしてみるとやはり番号は丸見えである。
ブルース・スプリングスティーンの新譜がでた。
しかもEストリートバンドでの、Born in the U.S.A以来初のスタジオセッションである。
Amazon.comで発売と同時に手に入れている。
日本でも先月末に発売されたようだ。
だが、昨年の同時多発テロの影が色濃く落ちている。
突き抜けたような明るさはない。
ロッックンロールで世界をひとつにできると信じている、このアメリカの一人の詩人の心像風景が透けて見える。
暴力と苦悩の世界である。
終戦記念日の今日閣僚が靖国神社へ公式参拝をした。
狂牛病騒ぎで国と国民生活に多大な損害と不安を与えたタケベとか、11桁の番号をつける国民の家畜化政策である住基ネットを安全だと言い切るカタヤマとかはもちろん参拝メンバーである。
弱者切捨て政策の石原都知事ももちろん参加である。
愛媛では、日本の歴史、つまりは支配者側の歴史を美化するという政治的な問題以前に、専門家にあるまじき基本的な間違いだらけのお粗末な「教科書」を県立校で採択すると発表。
この教科書、都内の養護学校などの、あまり目立たず、反対する勢力のないところから採択するという姑息なことをはじめていたが、ついに県立校で採択が決まったのである。
南京大虐殺は実際にあったことだし、オレも聞き取りをしている。
それにしても、こういう腐ったやつらが権力の地位にいるっていうのはどういうことなのか?
これは何も日本に限ったことではない。
ドイツでも「アウシュビッツはなかった」と主張する者たちがいる。
ゲルマン民族はもっとも優れていると考えている人々がいる。
原子爆弾を実際に非戦闘員に対して「二度も」使用し、ナパーム弾でこれも非戦闘員である市民を大量に焼き殺したアメリカは、「あれは正しいこと」であったのである。
どうやら、恥知らずで嘘つきで傲慢であるという、人間性に欠陥があるような者しか権力の座にはつけないことになっているらしい。
話は変わるが、TBSで乱歩をやるらしいので、ひそかに楽しみにしている。
乱歩の猟奇趣味を北野武がどこまで演じられるかが見ものである。
猟奇趣味といえば、昨日、ブルース・リーの映画を観た。
「燃えよ、ドラゴン」である。
この映画、よく観ると実に猟奇的な映画であり、はっきりいって変態映画である(笑)。
少林寺で武道を会得したが、途中で堕落し、自分の利益のために武術を使うようになったハンという男が敵のボスである。
このハンはある島を自分の王国として住んでいる。
この島では一切の飛び道具が禁止である。
ハンの趣味というのもあるが、暗殺者を恐れているためである。
ここでは数百人の部下が日夜武術の鍛錬に明け暮れている。
みな、白い空手胴着に黒帯である。
この島の地下はショッカーの秘密基地のようになっている(笑)。
奴隷たちを監禁している牢屋があったり、死体を溶かす液体のプールがあったり、アヘンの精製工場などがある。
また、たくさんの女たちが愛人として住んでいる。
みなアヘン中毒でヘラヘラ笑いながら裏切り者が殺されるのを見ている。
不始末をしでかした部下の処刑も、銃が禁止されているので、みな撲殺である。 よく出てくる描写は、踏み殺す、のだ。
主人公であるリーは、少林寺から派遣された一種のスパイである。
英国諜報機関であるMI6や米国のCIAなどが、ハンの悪事を暴くために少林寺へ依頼したのである。
なぜなら、ハンは年に一度、自分の王国である島で武術大会をひらき、外部のものがこの島へ足を踏み入れることができるのはこの時だけだからだ。
リーは、過去に、ハンの部下の男たちに強姦されそうになって自殺を選んだ妹がいた。
個人的な復讐というモチベーションもある。
ハンという男はかなりキていて、自分の博物館だとかいって、世界中の拷問道具や処刑道具を集めた部屋とかをもっている。
左手は義手であり、熊の手を模した鉄の爪のアタッチメントとかもある。
地下の秘密基地への抜け穴の鉢植えには毒蛇を放しておいたりもする。
この毒蛇、ほとんど意味もなく一匹だけ出てくる。
そして最後は、あの有名な鏡の部屋での戦いである。
ハンは、回転扉に自分で突き刺した槍に、串刺しになって死ぬのだ。
その扉が、串刺しになった彼の身体とともにくるくると回転する。
それが鏡の部屋に映り、まるで万華鏡のようにきらきらと輝いてゆく。
そして映画を締めくくるラストカットは、ハンの使っていた熊の手の鉄の爪のアップなんである。
もしも乱歩が観ていれば (おそらく観たのか?)大興奮間違いなしの世界である。
確かに、ブルース・リーの肉体やアクションは今観てもすばらしいのだが、監督の意図は実はこの猟奇趣味にあったのではないだろうか。
彼のヒーローとして輝きがあまりにもまぶしかったために、こうした猟奇趣味というか変態趣味が目立たなくなってしまっているのだ。
実はこれは変態ホラー映画として観るべき映画だったんである。
おそらく、このシチュエーションから、ヒーロー色を取り除き、ゲームにしたらバイオハザードよりも数倍は怖いものになりそうだ。
この夏休み、ぜひもう一度ご覧になることをお勧めしたい映画ではある(笑)。
|