【復活!】ダイエットなDIARY
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2002年05月31日(金) 悪食



あくじき、と読む。



ワールドカップがいよいよ近づいてきた。
いや。格闘技以外のスポーツには、まったく興味がない。



しかし、ワールドカップによってまた韓国の食文化についてTVなどでも触れられることが多くなってきた。
それは補身湯(ポシンタン)というある肉食の習慣であり、つまり犬の肉を食べることである。



それほどおおぴらにではないが、日本でも江戸時代ぐらいまでは犬を食べていたという。


しかし、古来から、もっとも人間に近しい動物である犬を食べるというのはやはりかなりの嫌悪感がある。
犬を家族の一員のように思っている人には耐えられないことであろう。



この犬の肉を最近では、ハンバーガーの形にしたりしている。
レタスとかと一緒にパンに挟んである。
TVで見ただけだが、外見上はマク●ナルドのものとまったく変わらないようだ。


また、鳥の手羽先のような状態のものもある。
食べて、骨は捨てるのである。
大きさからみて、あれはおそらく子犬のものであろう。



また最近、クジラを食べることに関して、さかんにTVで取り上げられていた。
欧米諸国から日本は批判されているらしい。





鯨の数は保護され始めてどんどん増えているらしい。
そうしたクジラが他の魚を食べてしまうので、漁獲量が減ったりするそうだ。




人間は雑食性である。


この悪食はどこから来たのであろうか。

細胞レヴェルでもっとも人間に近いゴリラは果物などを食べている。
それでいてたくましい体つきである。







西江雅之という、著名な文化人類学者がいる。

インタビュー記事などはこちらなどでも読むことが出来る。


彼は『わたしは猫になりたかった』(新潮文庫)というエッセイのような本も書いている。
一昨日読んだのだが、なんとこの本のタイトルは文学的なレトリックではなく、彼は少年時代、本当に「猫になろうとしていた」のである。
そのために、日の出と共に早朝から起きだし、近所の野山を飛び回り、高いところから飛び降りる訓練をしたりしていたという。

昼食などのために家には帰らない。
戦争中のことであったが、食糧難のためではなかったらしい。
自分で魚を取ったり、山菜や草の根、虫などを捕まえて食っていたという。
とくに蚕(カイコ)はおいしいそうである。






パプア・ニューギニアのフォア族という民族には「食人」の習慣があった。

近親者の死を弔うために家族中でその死者の身体の一部を食べていたそうだが、やがては貴重な蛋白源として内臓までもすっかり食べるようになったらしい。




このフォア族の間にはクールー病という奇怪な病気が存在した。
脳がスポンジ化する病気である。

そう。
現在、狂牛病として知られるBSEである。


BSEの病原体であると考えられているプリオンは、微生物や細菌ではない。
異常な形状をしている蛋白質なのである。
ドミノ倒しのように、周囲の正常な蛋白質まで自分と同じ形状にしていく。
このドミノ倒しによって脳がスポンジ化してしまうのがBSEなのである。

プリオンは生き物ではないので熱や消毒によって殺すことは出来ない。
そして厄介なことに人間をはじめ動物の細胞は蛋白質で出来ている。


しかし、このプリオンはあくまでも体細胞を作る蛋白質であるので、それ自体で、たとえば空気感染や粘膜感染することはない。
さらに、DNAの異なる生物には感染しない。いわゆる種の壁である。

感染経路はただひとつである。
同種間の肉食。
つまり共食いである。


本来草食性の動物である牛には、同じ仲間の牛のくず肉や骨を処理した「肉骨粉」を混ぜた飼料を食べさせていたことが、一連の狂牛病騒ぎの原因であるといわれる。


こうしたプリオンを持つ牛の肉を食べた人間にBSEが感染したのだといわれる。
つまり、まれにこの種の壁を越える場合がある。


パプア・ニューギニアの例では、同種間の共食いなので種の壁はもともと存在しなかったのである。



猿にも、雑食性のものはいる。
なんという種類の猿なのかは忘れてしまったが、その猿たちは同種間ではないが、種類の違う、白くて、少し小さい猿を捕まえると、その場で食べる。
彼らは火を使うことは知らないので、生で皮を向いて、ひきちぎって食べていく。
バラバラになった骨が木上から落ちてくる。


結構衝撃的な光景である。




英国のバーナード・ショーという有名な文学者は非常な長生きをしたが、彼は完全な草食主義者として有名であった。

「オレは動物の死体などは食わないのだ」と言っていたそうだ。

確かに、肉食は「動物の死体」を食っていることになる。
その点では、我々はみなゾンビである。



家の猫は元気で、毎日外へ遊びに行っている。

たまにスズメとかトカゲとかを取ってくる。
殺すまでいたぶって遊んでいるようだ。
死ぬと興味がなくなったのか、もう見向きもしない。
だから廊下や家具の陰などで、オレがそれらの死体を発見することになる。

しかし、猫はそうした死体を食わない。
刺身なども食わない。

食べるのはキャットフードと花がつおだけである。
ドライなものしか食べないように習慣づけられているらしい。


食習慣、などといっても、実際には一世代で変えられるぐらいの習慣なのである。

あとは産業構造や経済構造などの社会的な問題や、政治的な問題なのである。

クジラも犬も、オレはわざわざ食いたいとは思わないし、それは韓国の多くの人も同じであろう。

イスラム教徒はブタを食わないし、ヒンドゥー教徒も牛は食わないであろう。


人間は雑食であるが、これは逆にいえば食べ物が生物学的に決定されていない、ということである。
だからこそ、文化的に多様になったのである。



その多様さが、国家と結びつくことによって話がおかしくなっていく。



今日、自動車税を払ってきたので、特にそう思う(笑)。


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