【復活!】ダイエットなDIARY
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2001年12月25日(火) 貴族

喉が痛い。

ちょっと熱っぽいかも。

で、カリン酒なんぞを飲んでいる。






友人のインド人女性から電話があった。


クリスマスを京都で過ごし、明日帰るという。


クリスマスと新年の挨拶を電話でしてくれたのである。



彼女とは留学先で知り合ったのであるが、久しぶりである。








インドではいまだに身分制度がしっかりとある。

いわゆるカースト制度で、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラなどの四つの身分は有名である。


彼女は学部をカリフォルニア大学バークレイ校で卒業し、大学院がイギリスだったそうだ。


海外で高等教育を受けることができるのは身分が高い階級だけである。




彼女の出身はバラモン階級である。


古代には僧侶階級であったらしいが、現代はいわゆる知識人階級である。


インドの下層階級ではもう3世代もホームレスだという人々がたくさんいる。




もっとも彼女はそういった身分制度に反対の立場をとっており、学費も自分の奨学金でまかない、親からの援助は受けていない。

大学院で博士号取得の後は、インドに帰り、現地のNGOで子供の人権を保護する活動に身を投じるそうである。

自分の国のために貢献しようと学び、実際の活動に参加してゆく。


なんか、エライなあ。



毎日酒ばかり飲んで、ビリヤードをして、タバコをすって、昼間はテニスばかりしていたオレとは大違いである。




日本の大学院にはもう彼女のような人はいまい。

せいぜい自分の研究や有利な就職のことぐらいしか考えていないだろう。




戦後日本は、貴族制度を廃止した。

その割には天皇制だけ残したが、これはものすごくアンバランスなシステムである。

国王だけいて貴族がいない国などヨーロッパにはないのではないだろうか。



一億総中流時代などといわれて久しいが、平等になった分だけ高貴な動機は失われてしまった。




平等はいいことであるし、そうした社会構造がなければオレなども留学したり高い教育を受けたりすることはなかったろうが、しかし、貴族の存在が無私の社会貢献をする(あるいはできる)階級であったことも確かである。


日々の生活に追われているばかりでは見えないものがある。

単に金があるというのでは成り金にしか過ぎないが、数世代、厳しい教育を受け、騎士道精神を学んできたエリート階級には、気高さがあったと思う。


ガンジーだって、やせた乞食坊主みたいな格好の写真ばかりが有名であるが、もともとは身分の高い階級のエリートで、弁護士になるために留学していたのである。

その果てにたどり着いたのが、非暴力主義、断食による生命をかけた抵抗であり、それが事実、イギリスからのインド独立を勝ち取ったのである。

その抵抗はキング牧師にも受け継がれ、黒人の公民権獲得、反差別の運動を導き出したのだ。



ガンジーもキングも最後には暗殺されてしまったが、彼らの奇跡は歴史に残っている。

彼らが切り開いた舞台の上に、インドの人々やアメリカの黒人たちが現在いるのである。


闘いはまだ終わってはいないが、彼らの植えた種は確実に世界に広がりつつある。





「一粒の麦、もし死なずば、それは一粒のままだろう」



オレはキリスト教徒ではないし、この言葉を最初に知ったのも『男組』(雁屋哲・池上遼一)だったが(笑)、やはり含蓄のある言葉である。


彼女のような人たちと同じ時代の人類史の中に今自分も生きていると思う。




クリスマスは、日本では恋人たちのための日であるらしいが、キリスト教国では家族や、近所の人々、あるいは手の届くところにいる不幸な人たちのための日である。

神の子であるキリストの生誕を祝い、思いをはせ、感謝する日である。






うんこや睾丸の話ばかりが続いたが、クリスマスらしく、ちょっと高尚な話にしてみました。


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