【復活!】ダイエットなDIARY
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2001年12月22日(土) 撮影

夕べから間違い電話が多い。

しかもどこかのオヤジからである。





トゥルルルルルルルル。

「もしもし」

「ああ。キンイチかあ?あのなな・・・」

「どちらへおかけですか?」

「え?」

「ここはちがいますが」

「ええと、キンイチに・・・」


時間は夜の11時半である。

どうやら、少し酔っ払っている様子。


なんなんだあのオヤジは?



で、今度は夜中の2時ごろ。


トゥルルルルルルルルルルルル。

「もしもし」

「ああ。キンイチかあ?あのなあ」







・・・・・・だんだん自分がキンイチに思えてきた。


アイデンティティの揺らいだ夜。








で、揺らいだ翌日はロケに行ってきた。
今日のことだ。


場所は埼玉県は秩父の某町。
山間にある小さな町である。


ここに明治に起こった秩父事件の資料館がオープンするのであるが、そこに常設展示されるビデオの撮影である。


秩父事件とは自由民権運動の最高にして最後の形態であるといわれる明治政府に対する一大反政府武闘闘争である。

当時の明治政府の支配を覆し、「自由自治元年」を宣言し、数日間ではあるが、独立を勝ち取った事件である。


当時の明治政府は一個師団の近代軍隊を投入し、これを徹底的に鎮圧した。



で、当時の再現をするビデオなのであるが、TBS-ViSIONのSディレクターの撮影チームが撮ることになった。


竹槍や猟銃を持った農民たちが野山を駆け巡るのが主なシーン。
夜は神社境内での集会のシーン。
夜なので当然、かがり火や松明を焚く。
これがまた雰囲気満点で良かった。


そしてオレは夕べからハラが痛かった(笑)。



標高も高く、冷え込みの厳しい冬の秩父である。


幸い、地元の村民の方々の全面協力を得る事ができ、オレはデジカメで撮影の様子を撮影するといういてもいなくてもいい記録係の役で済んだのだが。


しかし、この冷え込みの中、オレは5回もトイレに行ってしまった。


近くの町役場とかのトイレを借りまくりだった。


それでも、山の中でのっぴきならないことにならないでよかった。




それにしてもなんでこんなにハラが痛いのか?

特に悪いものを食った覚えはない。

あのキンイチおやじがの呪いだろうか。

アイデンティティの揺らぎは大腸まで揺らすのだろうか?



そう自問自答していると、その訳が夕方、山間にあった食堂で分かった。

正確にいうと食堂のトイレである。

洋式なのでズボンをおろし、「はぁ。またかよ・・・」と、ため息をつきながら便座に座り、よく見るとトランクスを後ろ前さかさまに履いていたのである。

つまり、マドがある方が後ろ向きになっている。



ここから冷えたのだ。そうに違いない。

そう、オレは確信した。

しかし、この食堂のトイレは狭かった。

身体の向きを変えられないほどだ。

しかも、今日は編み上げ式のトレッキングブーツを履いてきているので、靴を脱ぐ事もままならない。


で、結局そのままにしてしまったが、あれが原因なのに違いない。







海上保安庁は、ついに不審船を奄美大島沖で沈没した。
負傷者もでている。

これを機に、いっそう国境警備や自衛権、交戦権の議論が高まるであろう。

アフガンは終わりそうであるが、きな臭い匂いは絶える事がない。


そうした世の中の動きに比べると、オレのパンツがさかさまだったことなど、ひどく小さなニュースである。


つうか比べること自体、間違っている(笑)。



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