【復活!】ダイエットなDIARY
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なんかここのところ涼しくて、寝冷えしたのか調子がわるい。
執筆する気力もなく、額にはひえぴたシートを貼っている(笑)。 食欲もあまりない。 あまりないのだが、ソフトクリーム系のアイスが夜中に食べたくなり、調子がわるい時に食べたくなるということは身体が求めているということだと思うので、コンビニへ行ってきた。
で、アイスを二つも食べたので今度はちょっと気持ち悪い。 オレは子供か?
相変わらず、まったりと地方局のテレビなどを観ている。 やたらと観ている。
今日のGTV(群馬テレビ)はすごかった。 上沼恵美子のトークショウで、ゲストが田代まさし。 その他にも岸辺シローや大隅ケンヤとか。 根掘り葉掘り田代にいきさつを聞きまくり、シローとかがコメントするという人民裁判的番組である。
今、朝の4時近くだが、夏休みなので教育テレビが延々とやっている。 おそらくBBCから買ったものであろうと思われるドキュメンタリーをやっている。 動物の生態とか、森林とか、ギリシア文明とか。 それを延々と観ている。 ためになるのかならないのか分からないところがいいのである。
教育テレビといえば、留学前に教育テレビの英語番組をよく観ていた。 当時は塾の講師を毎晩やっていたので、毎日のようにある数種類の英会話番組をすべて留守録しておき、深夜、仕事から帰って、一杯飲みながら繰り返し観るのである。 いわば酒のつまみである。 テキストは買わない。
そして番組にはNHK的ジョークやコント満載である。 しらふですべて見るのはつらいので、酒を飲みながら観るのである。
これを約一年ほど続けた。
ひとつのプログラムは3ヶ月で終了するように作られている。 3ヶ月あたりから効果が出てくる。
リスニングを鍛えるためにはテキストがない方がいい。 まず、スペル以前に、聞いたままで覚えるのである。
たとえば、This is the rose.という文章は、最初の頃は「ザザザロー」とか聞こえるハズで、まずその音を、そういうものとして覚えなくてはならない。 そのあと、各単語に分解して認識できるようになればいいのである。
幕末から明治の頃の日本人は、当然テキストがなかったのでおそらく聞いたまま覚えたのだろう。 そのせいか、この当時できた外来語は、発音的には正確である。
「メリケン粉」などの「メリケン」はおそらくAmerican(アメリカの)という言葉からきているのであろうが、語頭のAにアクセントはなく、canも「ケン」と発音されるので、「ァメリケン」がなまって「メリケン」になったものである。
「アメリカン」と「メリケン」。
おそらく「メリケン」の方が米語らしいし、充分、現在でも通じる。
トンカツなども、まあ、「トン」は別として(笑)、「カツ」という言葉はcutletからきている。 「cutlet カットレット」の複数形「カットレッツ」→「カツレツ」 となったのであろう。
ついでにいえば、「メンチカツ」の「メンチ」も、ひき肉をあらわす「ミンチmince」の、より米語的な発音である。
たしか中島らもが書いていたが(うろ覚え)、「わたふる」という言葉がある。 戦後、米兵のオンリーさんが結婚してアメリカへ移住した。 彼女たちは、おそらく英語教育などを受けてはいないので、すべて実践的に身に付けたのである。
そんなある女性の「わたふる」の解釈は素晴らしかった。
「滝のそばに行くとな、水しぶきがただよって、綿(わた)が降っているように見えるやろ。まるで夢の世界のようにきれいやろ。だから滝のことを『わたふる』っていうんやで」
「わたふる」は、water fall、つまり「滝」のことである。 ウォーター・フォールなどとたどたどしく言うよりも、「わたふる」と言ったほうが現在でも立派に通用する米語であると思う。
国を捨てて、米兵の妻として、みたこともなく、言葉も通じないアメリカの大地へ移住した女性たち。 あるいは明治の文明開化の中で、歴史に痕跡も残していないような庶民たち。 名もなく、学もない、こうした人たちの、労苦の中からつかみ取られた実践的な知恵に、戦後日本の英語教育は足元にも及ばない。 ぜんぜんダメである。
ちょっと教育っぽい日記になりました。
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