【復活!】ダイエットなDIARY
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2001年07月12日(木) 実験

いまさらながら関東甲信越地方、梅雨明け宣言。




昨日の日記は、職場で更新しようとしていたら上司に声をかけられ、中途半端なものになってしまった。
タイトルさえ入力されていないことからも、オレの慌てぶりが分かるであろう(笑)。


昨日は、あの後やはり飲みにゆき、ラーメン、アイスクリームでしめる、という「どこがダイエットなの?フルコース」であった。


今日は、先程帰ったのだが、昼にカツ丼、夜には食べ放題の焼肉、すし、アイスクリーム、コーヒー・ゼリーでしめるという「カルビ食いすぎちょっと気持ち悪いよ!」フルコースだったのである。

明日からはカロリーを制限しなければならない。




戦前戦時中に行われた人体実験に関する書籍を読み始めた。
これは神奈川大学主催で行われた国際シンポジュームをもとに出版されたものだ。
石井部隊については森村誠一『悪魔の飽食』で有名になったが、中国大陸だけではなく、シンガポールなどの旧日本植民地各地で行われていたそうだ。

行うのは医学者であり、京都大学や東大医学部の助教授や講師たちである。
彼らは、実験結果を論文として発表している。
その論文では、人体実験をしていることは伏せているが、専門家が読むとそのことはすぐに分かり、一種の公然の秘密であったらしい。

なぜ分かるかというと、第一に、伝染病の潜伏期間が厳密であることがあげられていた。普通、未知のウイルスによる伝染病に感染した場合に、いつ発病したのかは症状が出るので明確であるが、自覚症状がない状態である潜伏期間はそう簡単には突き止められないという。潜伏期間が明らかだということは、いつ感染したのかが明らかであるということになる。潜伏期間は、意図的にウイルスを人体実験によって注射した場合に、もっとも明確になるのである。

第二に、論文では動物実験を行ったことにしてあり、対象はサルとしているが、サルにはあらわれず人間にのみ現れる症状(この場合は腎臓の出血である)が克明に記録されていること。しかも、時間経過とともに、何日後、腎臓の出血が始まったか、ということまで時間経過を追いながら病状の進行具合を記しているらしい。これは内視鏡やMRAなどの技術がなかった戦時中では、実際に生きたままの解剖をしたという事実を物語っている。昔、理科の時間にカエルの解剖などは生きたままやったが、それと同じことを人間にやったのである。あくまでも論文では「サル」と書かれているらしいが、そのくせ体重50キロとか書いているらしい。したがって、これは専門家が読めばサルではなく人間で実験しているということがすぐに分かるのであるが、それは誰も口にせず、公然の秘密であったというわけである。

戦後、人体実験で培った生物兵器や細菌兵器の知識は、米軍との取引材料とされ、知識を渡す代わりに戦争犯罪人としては取り上げず、責任者やこうした医学者たちは無罪放免にされている。

彼らは、その後大学の学長になったり、製薬会社の重役になったりしたのである。学問の世界、特に医学の世界は徒弟制度の世界である。つまり、彼らの弟子たちが、厚生省や医学界や製薬会社にたくさんいたのである。
こうして薬害エイズの問題やハンセン病政策の問題などは起こるべくして起こった。

おそらく、現在でも、世界のどこかで人体実験は行われている。
なぜなら、それがもっとも手っ取り早い実験であるからである。
動物と人間とでは症状がまったく違うし、動物には無害なものでも人間には致命的であるウイルスがたくさんあるからである。
これは軍事だけではなく、治療を目的とした医療でも同じである。
薬の効果も副作用も、最終的には「人間で」試されなければならない。
そしてこれは医学者にとってはとてつもない誘惑であろう。
人権などは、研究をはばむ邪魔者でしかないのである。


クローン技術は、拒絶反応のまったくない臓器を生み出せる現代における魔法の技術であるが、ヒトクローンを作った場合に、クローンとして生まれた人間の人権がこれまでネックとなっていた。コピー元とまったく同じ人間、臓器をとられるためだけに生まれた人間、そういった人間たちが生まれる可能性がある。最近、この問題に技術的な解決策、というか妥協策が生まれようとしている。それは、頭部をもたない人間たちである。頭の部分を切除、あるいは頭が発育しないように操作されたクローンである。これなら、その「身体」は意識をもたぬ、したがって人格をもたぬ単なる「肉体」であり、人権問題は発生しない、というものである。すでにマウス実験は数年前に成功し、報告されている。
テクノロジーの世界で数年間といえば、実験は相当な段階まで来ているのではないだろうか。
いつか、誰かが、最終的には人間の細胞で「実験」するであろう。


『マトリックス』という映画では、人間が栽培される未来の世界を描いていたが、現実はもっと非情である。
栽培される人間に頭は必要ないのである。


試験管の中でそだってゆく、頭部のない人間たち。
そんな肉体製造工場建設へむけて技術は先を争うように進歩してゆく。




なんか、ちょっと社会派な日記になった(笑)。


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