ジャパニーズはスランゴール優勝を祝うべきではないか - マレーシア - 2005年10月03日(月) さて、マレーシアFAカップとマレーシアカップを、スランゴール というチームがどちらも優勝したのですが、ちょいと色々探って みると、どうも僕らはスランゴールを祝う必要があるのではないか、 とか思い始めました。 ↑スランゴールであります。実は2部リーグ所属のチームだったりする。 昇格したけど。 なんのことやらサッパリわからんとは思うのですが、以下を読んで 見てくださいませ。 マレーシアカップとFAカップは、この辺で違いを見てください。 (大会についてを参照) --- ■ジョホールバルの真実 国際政治さながらの交渉と言う点では、一九九七年のフランス ワールドカップアジア最終予選のことが印象深い。結果的には マレーシアのジョホールバルで開催されたが、アジア第三代表を 決めるプレーオフの開催地をめぐる交渉だ。 …中略… 日本は最終戦までUAEと二位争いを演じていた。もう一方の グループでは、サウジアラビアとイランが激しい首位争いを展開し、 最後までどちらかプレイオフに進出するか読めない状況だった。 ここである情報が飛び込んでくる。サウジアラビアが二位となった 場合、プレーオフの開催地として、ペルシャ湾に浮かぶ島国の バーレーンを希望するというものだった。 …中略… 私はすぐにマレーシアサッカー協会のポール・モニー専務理事に 電話し、グラウンド使用の件で交渉を始めた。 マレーシア協会の返事はこうだった。 「11月17日のプレーオフ開催予定日は首都クアラルンプールの 綺麗なグラウンドはマレーシアカップで塞がっている。ただし、 ジョホールバルなら空いている」 私は「プレーオフできるならどこでもいい」と思い、ジョホール バルのグラウンドを借りることにした。日本がワールドカップ 初出場を決めた記念すべき場所は、こうして決まったのである。 後になって、「いい場所を選んでくれた」と多くの人に言われたり もした。が、たまたまジョホールバルのクラブチームがマレーシア カップ(日本の天皇杯に相当する大会)で負けて、グラウンドが 空いていただけのことだ。歴史の「たら」「れば」を言い出せば きりがないが、何がどう作用するかは本当にわからない …以下略 :「サッカーの国際政治学」 p42-45 著:小倉純二 講談社現代新書より ---- さて、 > たまたまジョホールバルのクラブチームがマレーシアカップ >(日本の天皇杯に相当する大会)で負けて、グラウンドが空いていた > だけのことだ。 は、正確に言うと微妙に違います。 当時ジョホールバルにはジョホールと言うトップリーグのチームが ありましたが、そのジョホールがマレーシアカップで負けたわけ ではないのです。 マレーシアカップは、トップリーグ上位10チームが出場できるので あって、ジョホールはリーグ12位となったのです。故に、初めから 出場はできなかったわけであります。 (ついでに言うと、天皇杯に近いのはマレーシアFAカップの方かと。 歴史はマレーシアカップの方が近いけど) そんで、97年のリーグを調べてみると、こんな感じ。
てなわけで、感謝すべきはリーグでジョホールを打ち負かした チームなのであります。 97年度のジョホールの対戦成績を調べると、
この中でジョホールをお得意さんにした(2勝した) のは、サバ、サラワク、スランゴール、プルリス、ペラ。 彼らがジョホールをカモにしてくれなかったら… "マナマ(バーレーン)の悲劇"だったかも・・・です。 まさに > 歴史の「たら」「れば」を言い出せばきりがないが、 > 何がどう作用するかは本当にわからない であります。 そして、そのジョホールバルの奇跡が起こった年、その マレーシアカップを優勝したのが、スランゴールでした。 こう考えると「当時強くてありがとー、スランゴール!」 であります。 このよーに、かなりこじつけに近いのですが、 なんかの結果が、ドミノのように関係してくるのを見ると、 なかなか同地域なアジアン・サッカーってのも面白く見えて 来るもんであります。 マレーシアの来期AFCカップ2006出場は、その スランゴールとプルリス(リーグ王者)。 がんばってちょーだい! PS ついでに、ジョホールバルの奇跡から5年後のスタジアム訪問記は ココ ...
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