10 minutes: サカマガへの提言 - 2004年07月03日(土) 火曜日は、カバンの中を軽くして、少し早めに家を出る。 サッカーマガジンの発売日だからである。 電車の中でサッカーマガジンを読むと 「今日は火曜日であるのだなー」 と実感するわけである(だからどうした、と思うが) 俺の中のサカマガとは、「サッカー雑誌界の重鎮」である。 なにせ俺が生まれる前から発行しているという伝統がある。 伝統とは四の五の言わず、素晴らしいものだという俺的持論が あるので、ずっと購読している。 しかし! 俺が最近許せないのは、読者のコーナーである。 あれは重鎮らしからぬページである。 例えるなら、 蒸気機関車に乗ったら 『煙が出ないように、煙突を塞いでみました』 とか書いてあるようなモンである。 老舗旅館の晩飯に 『なんとかのムニエル、クリーム添えでございます』 とか言ってくるようなモンである。 小野ヤスシが 『エミネム、いいよね』 と言ってくるようなモンである。 重鎮が何故媚びる!(小野ヤスシは重鎮じゃないが)と言いたい。 俺が望むのは、読者に「うんうん、そーですよね、おなじサッカー 好きですもんね」的なアプローチとか誌面づくりをやめて欲しいのだ。 たとえ間違っていたとしても、ガツンと、 「うう・・・目が覚めたッス!旦那!」 という衝撃が欲しいのだ。 今のサカマガの投稿のコーナーや返答は、 「サッカーマガジン編集部」ではない! あれは、メンズノンノとかファッション誌でよくある 架空の担当「パセリちゃん」とかそんな感じである。 俺は「はいはい、相手にしてらんないよ、君ら(編)」 という、高飛車な文章が読んでみたいのだ。 なぜなら、それが重鎮だからである。 俺は、望月三起也センセーのコラムは好きだ。 書いていることはよくワカランし、絵も全部ヒバちゃんだが、 とにかくイイ意味で頑固なクソジジイである。 昔新年特大号かなんかでやった、100年後のサッカー とかいう企画は良かった。 重鎮がどう考えているのか?という興味深い記事であった。 これはサカマガしか出来ぬ企画である。 (他の雑誌がやったら、ただの妄想記事である) サカマガはもっとジジイ色を出し、重鎮度を上げなければ、 カウンターカルチャーとしてのサカダイ(なのか?)とか SportivaとかFootivalとか他雑誌などの元気もなくなるだろう。 (サカダイ以外読んでないけど) いい感じのババア(そうでもない場合もあり)が買ってしまう 雑誌『暮しの手帖』のように、サッカーマガジンも、イイ感じの ヨレたオッサンが手に取るような、そんな雑誌になって欲しいと 思う梅雨の夕暮れだった。 ...
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