ライバルはマンチェスターユナイテッド -ブルネイ - 2002年01月07日(月) 昨年はPremier2に落ち、そしてW杯やVisit Brunei Leagueでも散々な成績だったブルネイ。 しかも、ブルネイサッカーのオフィシャルらしきHP も、なぜかWebメールのHPになってしまい・・。 と、運がないブルネイですが、色々考えがあるようで あります。そんな記事を見つけたので、紹介。 ちょっと長いですが。 ------- ▽ブルネイ・サッカーリーグ設立へむけて・・ ミック・ジョーンズは、世界最古のサッカー・クラブ、 Notts Countyで選手時代を過ごしました。現在監督を 生業にしている彼は、世界最新のサッカー・リーグ創設 に携わることを誇りにしています。 しかし最初に、彼は人口34万人のブルネイ国民に対して、 地元ブルネイのチームを支援するように説得しなければ なりません。ブルネイで人気があるチームはイングランド の"リバプール""マンチェスター・ユナイテッド" の2チームなのです。 「プレミアリーグの人気というものが、大きな問題 となるかもしれません。しかし国民はブルネイ・ サッカーに目を向けてくれるようになるはずです。」 とジョーンズは言います。 現在、ブルネイ・チームのニックネームはWASPです が、世界でもユニークなスタイルのクラブの1つです。 通常は、マレーシアリーグで試合をこなすクラブですが、 ワールドカップ予選ような国際大会は、そのままブルネ イ代表として出場するという、2つの顔を持っています。 ブルネイチームは、マレーシアで幾度も挑戦をつづけ、 1999年のマレーシア・カップでは優勝を勝ち取りました。 この勝利は、ボルネオ島を熱狂に巻き込み、街には何千 ものファンが勝利を祝いました。マレーシアカップ決勝 戦では、ほとんどの国民がテレビにかじりつき、その結 果に酔いしれました。 しかしながら、その後数人のベテラン選手が引退すると、 チームの成績は急降下。9-1、5-1という悲惨な敗戦もし ばしば。 チームの国際大会での成績はさらに深刻でした。2001年 4月のワールドカップ予選・対UAE戦では、12-0で敗れ たのです。 「この理由に関して明らかなのは、ブルネイは東南 アジアのサッカー王国でないということだ。」 とミック・ジョーンズは語ります。 彼は1960年代および70年代にNotts Countyでプレーし、 その後いくつかの英国のチームを監督しました。1862年に 設立されたNotts Countyは、世界で最も古いサッカー・チ ームとされています。 「ヨーロッパでの"勝利したい"という気持ちに慣れ ていると、このブルネイチームの状況を変えるの は困難で、この状況に苛立たしいと感じることが あるんだ」 ジョーンズは、いわゆる「イギリス・マフィア」のメンバー の一員です。イギリス・マフィアとは、アジア諸国で展開 するイギリス人監督のグループを意味します。 タイのピーター・ウィズ マレーシアのアラン・ハリス パキスタンのジョン・レイトン ミャンマーのデビッド・ブーズ グアムのウイリアム・マクファール は全てイギリス人。 前中国代表監督であったボビー・ホートンは、W杯予選を 突破した、ボラ・ミルティノビッチ監督率いる中国代表チ ームの土台を作ったことで評価されています。 ミック・ジョーンズと、ブルネイ・アマチュア・フットボール 協会(BAFA)事務局長であるPg Hj Metusin Pg Hj Matasan は、サッカーのプレーの質を高め、願わくばブルネイをアジア の大会やワールドカップ予選で戦えるようにするという、 野心あふれる計画があります。 ブルネイには、WASPに加えて、BAFAが主催する大会で 活動するアマチュアチームがいくつかあります。BAFA主催 の大会は定期的に行われています。 しかし、そのような散発的に行われる大会は、若い選手の 才能を伸ばすことに対して望ましくないことが分かりまし た。地方の選手に対して、不公平が生じていたのです。 Pg Hj Metusinとジョーンズは、10チームからなるブルネイ・ リーグをスタートしたいと考えています。そのリーグは、ブル ネイ全土にまたがり、年間のチャンピオンシップ、そしてカッ プ戦が行われるようなリーグです。 「他の国々では、サッカーは産業です。しかしブル ネイでは、サッカーは単なる娯楽で、余暇の楽し みとしてプレイされているだけです。」 とPg Hj Metusinは言います。 彼は、ブルネイサッカー界では発言力のある人物です。 「私たちは今、その考え方を変更しなければなりません。」 ブルネイには既に、1999年の東南アジア競技大会 (SEA GAMES)のために作られた施設の中には、すばらしい スポーツ競技場があります。 例えば30,000席からなるハサナル・ボルキア国立競技場です。 他の街でもよいサッカー・グラウンドを持っています。 したがって、リーグを設立するのは容易でしょう。 新しく創立されたクラブは、各年代別リーグに参加するため にユース・チームを持つことを必要とされるでしょう。これ はボールの技術や、ブルネイ選手達が昔から欠いていたフィ ジカルの強さを発展させるでしょう。 Pg Hj Metusinは、FIFAが提案している"グローバル・ゴール・ プロジェクト”の範囲内で、財政的な援助を示してくれること を期待しています。その援助を元に、ブルネイのユース世代の 育成を行おうという意図があります。 FIFAのこのプロジェクトは、各国のサッカー協会を支援する ものです。主に発展途上国を対象にしたもので、その国々の サッカーのインフラを整え、国際規模の競技場設立の足場を 築くことを目指したプロジェクトとなっています。 その予算は8000万USドル。 Pg Hj Metusinは次のように言います。 「私たちは、”Ikan Pusu”というプログラムを考えて います。このプログラムとは、小さな子供達向けの サッカーの講習会です。 例えば、パスやその受け 取り方の技術の講習を通して、子供達にチームワー クの重要性や試合のカンを知ってもらうものです。 FIFAのプロジェクトは、私が推奨するこの”Ikan Pusu” プログラムときっと合致するでしょう。」 :http://www.eteamz.com/dpmmfc/news/ :より適当全文訳 ------------ うう、こんなに一生懸命なミック・ジョーンズだったが、 解任されたんだよなぁ・・。 そんで、ボビー・ホートンは、ベトナム行き濃厚だし。 時代は変わるのねん。 それにしても、海外サッカーに国民が夢中だと、あんまり イイコトないような気がしてきた。タイも同じような悩み かかえてたと思うし・・。 この辺も東南アジアサッカーの問題ちゃー問題だよなぁ。 と、ガラにもなく考えてみたりした記事でありました。 ...
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