東南アジアサッカー調査メモ...ogaoga2k

 

 

ドナドナ -インドネシア - 2000年12月15日(金)

フィリピンレポートは、分からないトコがあったんで、
質問を出しました。んで、ちょっと返答待ちです。

で、図書館でようやく借りてきたインドネシアの本。
また、いざとなった時ナイと腹立つんで、借りてき
ました。

で、要約。


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<コラム:フーリガンが大暴れ、サッカー観戦は命がけ>

1938年の第3回フランス大会W杯。
アジア勢での始めての出場国はインドネシアだった。
(当時は蘭領東インド諸島。)
本大会一回戦、ハンガリーに0-6で大敗したという
記録が残されている。

そんな記録を持つ国で、今もサッカーは人気が高い。
広いグラウンドの少ない都市部では、バトミントン
やバレーに圧されているが、王宮広場などでは多く
の市民がサッカーを楽しんでいる。


自国には、東リーグと西リーグに分かれた国内リー
グがあり、決勝リーグは毎年大騒ぎとなる。観戦に
行くのはもっぱら男性で、欧州や南米と似ている。
インドネシアでも、サッカー場は群集が暴徒化しや
すい、という認識がある。


この国では、フーリガンをボネックと呼び、概して
評判が悪い。特に、スラバヤのブルスバヤ・サポー
ターは悪名高い。

1999年、国内リーグの決勝は、スマラン(中ジ
ャワ)vsスラバヤ(東ジャワ)。
しかし、両チームのボネックが首都に押しかけ、
治安が悪化。決勝直前に、スラウェシのマナドに
会場を急遽変更。選手・スタッフを空軍が輸送した。

その為、首都・ジャカルタに残されたボネックは、
チャーター船や列車に押し込まれ、あちこちで投石
騒ぎを起こしながら地元に戻っていった。

--ワールドカルチャーガイド⑥インドネシア
暮らしを訪ねて島から島へ
(発行者:トラベルジャーナル)----
より


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うーむ。ココでもバトミントンが・・・。
よく考えたら、羽子板もバトミントンなんだよなぁ。

”日本人は正月はノンビリしており、日本の街は
 初詣でゴッタがえしている。その状態が、ずっと
 続いているのを考えてもらいたい。
 そう、その状態こそが東南アジアなのである”
 
って、論文が書けそうだなぁ。(内容はウソ)


まあ、でもインドネシアには自国リーグがあって、
東vs西が最終決戦ていうコトは分かったので、
良しとしよう。

あとは、やっぱボネックだ!
スラバヤか・・・。うーむ。
頭の中では、何故かユニフォームカラーは赤色だ。

あー、応援の歌とかスッゲー気になる。
マジでトランス状態な感じの歌だとイイなぁ。
竹の楽器とか使ったやつで。

そんで空軍が出てきて移動って・・。
さらに火に油を注ぐような気もするが、
大丈夫だったのか?


>あちこちで投石騒ぎを起こし
>ながら地元に戻っていった。

のトコが、ちょっと悲しげ。
ドナドナな感じで、ますます好き!

俺も今日から、スラバヤのボネック。(よく知らんが)
とりあえず、石を投げるトコから練習だ。




*今日の東南アジアサッカーの真実
・第3回W杯出場
・東西に分かれた国内リーグ
・最終決戦が、東西各リーグのチャンピオン。
・フーリガン=ボネック(インドネシア語)


*今日の疑問
・ブルスバヤってチーム名?



...



 

 

 

 

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