ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2001年06月08日(金)  開眼!

ずっと前から知っていた言葉を、最近になって本当の意味がわかったと感じることがある。

たとえば、中学や高校でただ丸暗記した百人一首の句なんかを、「あっ、これなんかわかるな」なんて共感する。
もちろん言葉の意味は知っていたんだけど、それはただ「知っていた」だけで、想像でそういうものなのだと思っておくしかなかった。
年を経て自分なり身近な友達がいろいろと体験してくると、ふとその言葉をあらためて目にした時、「これはまさに今の自分だ」とか「彼女はこういう思いをしてたんだな」とか妙に胸にせまるものを感じるのだ。
大急ぎで丸飲みしてしまったものが、少しずつお腹の中で消化されて栄養になるようなものだろう。

誰かが苦しい片想いの胸の内を明かした時、そこに同席した人が「しのぶれど……」なんて口ずさむ。
この時ははっとした。
まさにその話は、この歌に合っていたのだ。
忍ぶれど色に出にけりわが恋は ものや思ふと人の問うまで
絶妙なタイミングでそんなことを言い出した人もとても粋だなあと思う。

最近の私の心境としては、まさにこれ。
花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に
……美人じゃなくったってそう思うんです。
まだ色あせちゃいないけど、と自分に言い聞かせつつ。

木曜に行ったコンサートで、ピアノ奏者の女性がフォーレの「夢のあとに」の解説をしてくれた。
これはロマン・ビシーヌの詩が原曲の歌詞だということ。
愛しい人の夢を見た後、目が覚めたらその人の姿はそこにはない。
戻ってきてくれ、とむなしく繰り返す詩。
この曲は好きで、チェロの演奏版で時々聴いていたけれど、背景までは知らなかった。
その話を知ってから演奏を聴き、その詩の主人公の想いをひしひしと感じた。
この題材は、和歌の場合、小野小町のこんな歌がある。
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

カラオケで渡辺美里の「My Revolution」を歌う。(年バレる……。爆)
懐かしさだけで別に何か意味があって入れたわけじゃないんだけど、歌詞を追っていくうちに、「きっと本当の悲しみなんて自分ひとりで癒すものさ」というフレーズがあった。
なんだか、すごくそうだなと思った。
「夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃだめさ」
そうだねぇ。うんうん。
やっぱりイイ歌なんだなあ、と思ったりして。

知識から理解へ。
その瞬間は、頭の回線がつながって、びしっと電流が流れる感じ。
あの頃やってたこともただ無意味じゃなかったと思うと、なんだかうれしい。
もっと年をとった時、同じ言葉でもまた違う意味をもってくるだろう。
それがまた不思議で、おもしろい。


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