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温泉へ行こう - 2003年05月10日(土)

今日、本屋で「つげ義春の温泉」と言う本が置いてあるのに気付いた。手に取ると、つげ義春が撮った温泉の写真と、つげ義春の温泉に関するマンガ、さらにエッセイが載っている。中々ゴツイ本である割に1800円と安かったので、買うことにした。奥付けを見ると今年の2月10日に発売されたらしいが、既に2月25日には二刷目が出ている。とは言え、今日は5月10日だけに、この本屋ではだいぶ前に入荷して以来、今まで売れないでここにあったのだろう。現在第何刷まで行っているのかは不明だ。

つげ義春は漫画家だが、当然私はつげ義春と同時代人ではなく、恐らくつげ義春が描いたり書いたりしているエッセイやマンガで出てくる、彼の息子と同じくらいの年齢だと思われる。従って、つげ義春が活躍した頃を知る由も無いし、第一売れた頃はまだ私は生まれてもいなかった筈だ。

つげ義春と言う漫画家を知ったのは恐らく高校時代だと思う。私が高校生だったのは世の中バブルの真っ盛りと言う、1990年代初頭である。その頃、漫画しか読まなかった私は、本屋に行ってもマンガコーナー程度しか行かなかったのだが、その頃つげ義春の漫画が復刻版かなんかで書棚に並び始めていたのである。良く分からないが、つげ義春の再評価がなされた時代であったと思う。とは言え、別にその頃はつげ義春の漫画は買わず(何しろ結構豪華版で高価だった)、手にしたのは文庫版が出始めた頃である。これは多分大学時代だろう。

そもそも、つげ義春関係のもので一番最初に触れたのは、竹中直人が監督・主演をした「無能の人」である。竹中直人が好きな私は、よく竹中直人が出ている映画を借りて見ていたのだが、その中で第一回監督作品として、比較的評価された「無能の人」を見たわけである。

そのときの印象は、竹中直人の芸風の中でも、「真剣に暗い」と言うイメージであり、何だか別人を見るようだった。「無能の人」を見てつげ義春に好感を持ったと言う記憶は全く無く、はっきり言って当時高校生だった(と思う)私には、この「陰鬱さ」の面白さが全く分からなかったと思う。ズバリ言って、映画「無能の人」は、私にとって面白い映画ではなかった。

大学に入る前からマンガ以外の本を読むようになった私だが、そんな折に文庫コーナーにつげ義春の文庫漫画が並ぶようになった。漫画の文庫化の初期であり、今のようにマンガコーナーに文庫漫画が並んでいたわけでなく、普通の文庫のコーナーに漫画が並んでいたわけである。映画でイマイチな感想を持った私だが、マンガしか読まなかった私にとって、既に古典化して豪華な装丁をされた高価なつげ義春は若干「憧れ」のマンガだったようで、廉価になった文庫漫画はすぐに買ってみた。結局、これが本当のつげマンガとの出会いとなった。

つげ義春のマンガは、それまで読んだことも無かったようなマンガだった。ハラハラするシーンは殆ど無く、擬態語と言うかそんなもので表現すると、「淡々」と言うのが最も良く合っている、しかも侘しいマンガだった。何となく破滅的と言うか、気力が抜けるマンガで、だからと言って肩に力が入らずにリラックスして見られるものでもなく、読んだ後はとてもだるくなる、そんなマンガだった。

だが、私はつげ義春のマンガが気に入った。そのときは何故かよく分からなかったが、最近「貧困旅行記」と言うつげ義春のエッセイ集を読んでいて、この暗さ加減が私に共通するものがあると感じたからだと思う。そのときは意識しなかったものの、何となく無意識に彼の「暗さ」に、自分と何か共通したものを感じ取ったのかも知れない。

つげ義春のマンガで最も印象的なのは、自身の厳しかった少年時代を描いたもの(母親と再婚した継父に苛められながら町のメッキ工場で働かされる日常)と、貸本マンガで生計を立てている際、売れなくて非常に厳しい生活を送る日々であるを描いた私小説的マンガである。恐らく、このような時期を経て人生観が確立したと思われる彼の作品は、従って全体的にかなり陰鬱な雰囲気を醸し出している。浅野忠信が主演してまあまあ話題になった「ねじ式」も、原作は妙な異空間の様相を呈する、気味が悪いといえば気味の悪いマンガだ。

陰鬱な雰囲気を出す中でも、比較的つげ義春の感情が楽しげに出ているのは、彼自身が好きな鄙びた温泉地を旅するものである。「ゲンゼンカン主人」と言う、これまた陰鬱なマンガもあるものの、彼自身が訪れて彼自身と思われる主人公が出てくるマンガ(殆ど創作らしいが)は、中々生き生きとした風情が描かれている。喜怒哀楽が出ているのもマンガで、マナーのなっていない客の行状を非難めいて表現するマンガなどもある。

彼は鄙びた温泉地が好きであると言うのは、貧困旅行記などにも記されている。その中で、温泉マンガや温泉エッセイを収めたのが、今日買った「つげ義春の温泉」である。見ていて思うのだが、やはりマンガの方はつげ作品では珍しい、生き生きとした情景で描かれている。だが一方で、エッセイの方は案外そうでもなく、意外と暗かったりもする。印象的な文として引用すると、

何もつけぬパンを三人でちぎって食べて、だんだん侘しい気持ちになった。大平台以外は、やはり貧乏人の来るところではないようで、箱根の印象は、一部を見たに過ぎないが、東北地方の鄙びた温泉地に馴染んできた私には、どうして人気があるのか解らなかった。

等と書いてある。彼は東京出身だが、あまりメジャーなところは好まずに、旅行先は不便な田舎にある、本当に寂れた温泉街ばかりに行っている。特に好んで行っているのが会津の山奥にある温泉地であり、たぶん普通の人からすると、別段娯楽も少ない冴えない湯治場のようなところで、一体何が楽しんだろうと思うような感じである。

この嗜好は私とかなり合致しており、まあ結局私の場合に過ぎないのだが、旅行に行ってあまりガヤガヤする所に行くのは好まず、一人で何となく物思いに沈めるようなものを求めている。また、これはつげのエッセイにも良く出るのだが、その風景の風情とか雰囲気を愉しむと言うのが良いのであるようだ。だからと言って中々高級な旅館に泊まるのは嫌がる訳ではなく、案外安くていい旅館に泊まると、それはそれで嬉しそうに文を書いている。

何か一人で喜怒哀楽を静かに表現していて、本当に暗い奴だと言う感じがするのだが、こう言うところが私の中にも確かにあって、これがつげ作品を気に入った理由のような気がしないでもない。

何か書いているうちに温泉に行きたくなってきたな。


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