びば蜘蛛日記。
蜘蛛好きの
蜘蛛好きによる
蜘蛛好きのための
蜘蛛日記

2001年10月14日(日) 見てればいいなと思って書いてみる。

この日記を、99.8%の確率で読んでないはずの人のことを書くことにします。これも思い出、かねぇ…知らん。

私は
その人の日記を読むと
凄い共感し
凄い感動し
私もそんな風に
なりたい、と思う。
だけどそうやってその人に伝えることで、
気持ち悪いって思われるような気がして、
ただ「あなたの文章が大好きデス」みたいなことを
何回も何回も、結果的に意味を喪失するくらい書いた

結局本当は、その人が好きなのではなく
その人を尊敬しているわけではなく、
ただ、
あまりにも私と違う人生を歩いている人への憧れ
を抱いていたのかもしれない。
だけどそれを私が伝えることで、
嫌味な、とか、は?とか思われるような気がして、
またまた、意味のわからないことばっか書いた。

二度とメールの返事がくるとは思ってないし
多分二度と書かないだろう。
今日その人の日記を読んでしまったのは反射的にってやつで。

やっぱ尊敬してます。軽軽しくその言葉を使っていいなら。
尊敬してます。
理由なんかないんだ
あなたに好かれたいと思ったのです。
それが理由だ、私があなたに付きまとう理由だ。
意味のわからないことを言って、楽しませようとしたり
理解しているふりをする理由だ。

なんか思ったんです。
成長してないよ俺。
小学生のときのままだよ。頭ん中。
人との触れ合い方っていうのかな。
そんな繊細なもんじゃなくて、
何を言ったら人は傷つくか、何を言ったら喜ぶか、
そういうことだけはよくわかってきたんだけど、
自分のことをどれだけ話していいのか、それがわからない。

なんか前も書いたけど
一時ネットにしか居場所なかったときがあった。
私はネットは仮想社会だとは思ってなかった、
って念のため「私も」にしときます、前述のかの人が同じことを書いていたから。
でも私の持論として。ネットは仮想社会でも
空想の空間でもなくて、人間同士の接触だと信じて疑ってなかった。
事実そうだと思うし、そうなんだけど、
だけど
ようやく今になって、足りなかったんだなぁと思った。
私はネットの上で人間と付き合ってたのだけど、
その「人」は私を成長させてくれる人ではなかったんだと。
年齢の離れた人と付き合えること、をメリットに
盾に
ネット生活を続けてたけれど、
バカらしいね今から思えば。
誰も私のことなんか考えてないしさ

私も考えてないし、相手のことなんか。

もっと頭の中がいっぱいになるくらい心配な友達とか欲しかった。
どこまで自分のことを話せば喧嘩になるのか、知りたかった。
私高校入ってから誰とも喧嘩してないんですよ。
優しいねいい子だね可愛いねって言われて、にこにこ笑って
家で勉強したりネットしたりして
ふられた子にもらい泣きして一緒に泣いて
(それって映画みて泣いてるのと同じ心理であって)

さめてるわけではないのです。
心底何かをくだらない、と思うことが無い。
何もかもめちゃくちゃ面白い気がする。
生きてるってだけですばらしい気がする。
みんなが好きだ、って本当は思う。
(でも、私のいうみんな、なんて凄い一部の人たちで、
世の中には嫌いな人もいるかもしれないんだけど、)

非現実的。かな。
ホンモノの人間との付き合いが足りないから。
自分で解析してりゃ世話無いな。

だからその人へのメールも、
嫌いにならないでください、と本当は言いたかったのね、
これから何を書いても、私のこと嫌いにならないでください。
って。

実際そうやってメール書いたときもあった。
送る前に読み返して、中身の無さに泣けてきた。
その人の日記とか読んだり、その人に貰ったメールとか見ると、
あぁ俺小さいって感じてしまい、自分のすべてが、甘やかされてて
ダメダメじゃんって思った。
人間的に成長したい。

上っ面だけで成長している人間の振りしてその人にメールとか手紙とか書いて、
私にはその人に嫌われたり好かれたりするだけの価値
違うな、同じレベルでの存在感、が無い
のに、
嫌いにならないでくださいなんていえないよなぁ。
でも何も書かずにいられなかったんですよ。

今は忘れられたいと思ってます。

つーかS雪緋斗を忘れてくれ、皆。
みたいな。
誰にも好かれてない、誰にも嫌われてない、
その状況がもう嫌で嫌で、嫌です。


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緋斗

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