うさぎ日記
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2013年02月22日(金) 来客あり

女性2名の来客あり。

コーヒーとケーキでもてなす。


おひとり(Kさん)は、実父のかた、義父のかたそれぞれの認知症を看とり、送られた。
もうおひとり(Mさん)は現在95歳の義母を家族の大人5人で看ておられる。

Kさんの義父さんの認知症症状は、母のそれとよく似ていて、
ひとことふたことで、「でしょ?!」と、その行動に対する思いを共有できる。
あれこれ、説明しなくても、「食事も、ね。」だけで、食事時のネガティブな思いが通じ合う。

Mさんの義母さんは要支援1というところか。
ひとりで留守番もでき、言いきかせれば、行ってはいけないところをわきまえることもできる。
何より、家業が農業なので、大人5人が家にいて全員で介護体制をとることができるのは、大きな力であろう。
また同じ徘徊するにしても、Mさんの家のように周囲は広く田園という場所で彷徨うと、市街地で彷徨うのとでは、家族の心配のありどころが違うのではないかとも思う。
95歳の義母さんは、「内臓が弱っているので、明日に亡くなっても不思議はない。」と、主治医から言われているそうだ。
Mさんの義母さんより若く内臓には何の異常もなく、「この調子だと100歳まで大丈夫。」と、太鼓判を押されている母とは、同じ元気でも行動のエネルギーみたいなものが違うのではないだろうか。

Kさんの義父さんは、御存命ならば母とほぼ同じ年であるが、胃癌があり主治医との阿吽の呼吸で、胃癌に対する積極的な治療は行わず、胃ろう2年、肝硬変で亡くなられた。
若くてエネルギーがまだまだ盛んなかたが認知症になった場合、その行動に振り回される大変さは、
「実際に接した者でなくては、わからないわよねー。」
と、Kさんとふたりで頷き合ったが、どうもMさんには「この二人、ほんの小さな困難を大げさに言っている。」と、受け止められたようだ。

Mさんは、「親を施設へ入れるなんて、子供のすることではない。」と、顔をしかめて言われる。
実父のかたを看るものがいない、ということで施設へ入れ、義父さんを水頭症の手術をきっかけに、病院から施設へ入れたKさんは複雑な顔をされていた。
私は、
「『デイやショートへの行きと帰りとでは、お母様の足取りが違う。帰りの足取りの軽く、早いことといったら・・・。』と言われるので、此処が家だと解るうちは、施設へ入れずに頑張ろうと思っているのですよ。
でも、私ではどうにもならなくなったら、その時は施設へ行っていただくしかないと、思っているのですよ。」
と、言った。



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