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■ 世界の終わりの物語/パトリシア・ハイスミス
『世界の終わりの物語』/パトリシア・ハイスミス (著), Patricia Highsmith (原著), 渋谷 比佐子 (翻訳) 単行本: 284 p ; サイズ(cm): 19 x 13 出版社: 扶桑社 ; ISBN: 4594030602 ; (2001/01) 内容(「BOOK」データベースより) 生体実験の遺体を埋めた墓地に、異常繁殖する巨大キノコ。大海原に展開する、クジラ対人間の死闘。放射性廃棄物の処理に窮した政府が打った秘策と、その恐怖の顛末。国連の援助委員会の入国にむけて、騒動がエスカレートするアフリカの独裁国家。高級高層マンションの巨大ゴキブリに挑む、人間たちの無力な戦い。福祉政策と介護施設によって生きつづける、200歳の老婆。保身に走るアメリカ大統領とその一派が引き起こす、地球終末の序曲…狂った自然と人間のさまざまな崩壊を、晩年のハイスミスが自由闊達にに綴った最後の短編集。おそろしく、おかしく、おぞましく、そしてとびきりおもしろい、世界の終わりの物語。
パトリシア・ハイスミスは、「リプリー(映画「太陽がいっぱい」の原作)」で有名だが、作品を読んだのは初めて。以前に「INFORMATION BOARD」で取り上げたことがあるのだが、表紙もあまり気にいってなかったので特に読もうとは思っていなかったのに、図書館で見つけたので借りてみたところ、結構面白かった。
ハイスミスは、もともとSFというかミステリというか、そういう作風なので、短編でもそのあたりが自分の好みに合っていたのだと思うけれど、テーマの目のつけどころが面白い。
短編の場合、「目のつけどころ」は重要なポイントだと思う。イタロ・カルヴィーノや、T.C.ボイルなどの短編が好きなのは、みな「目のつけどころ」がいいからだ。それに、一昔前のスタイルと言ってしまえばそれまでだが、ハイスミスの短編は、起承転結がはっきりしていてわかりやすいというのもある。
ところで、訳者あとがきを読んでいたら、「(ハイスミスは)書いてはいけない危険なものを書いてしまった」とあった。ちょっと待てよ、いつ出された本なの?と思って見たら、2001年であった。言論の自由がなかったというような大昔の話ではない。
そのあと、「こうした作品群は書いてはいけない小説であり、読んで笑ってはいけない小説である。それでは読んで笑ってはいけないのなら、どういう反応をするのが正しいか。実は、正しい反応の仕方はない。なんとも居心地が悪くなって、読まなければよかったと思い、読んだことを忘れるしかおそらく手だてはないだろう」とある。
この訳者は、ハイスミスが嫌いなのか?こんなことを言うくらいなら、訳さなければいいのにと思う。第一、「読んで笑ってはいけない」とか「どういう反応が正しいか」なんて、ものすごくナンセンスじゃないかと思う。読者が100人いたら、100人それぞれの反応があっていいはずだし、その中には、もちろん笑う人もいるだろう。
これはきっと一種の冗談で、このあとに正反対のことでも書いてあるんだろうと思ったら、そういうこともなく、結局のところ、大真面目にこうしたことを言っているのだ。嘘でしょ!?という感じ。よほどお堅い翻訳者なのか?
この翻訳者は、ハイスミスは「意地悪婆さん」であり、「冷ややかな世相ウォッチャーとなったハイスミスは、いったいどのように晩年を暮らしたのだろうか。誰から嫌われてもいいと腹をくくって生きていたのだろうか。そんな想像をしてみると、こちらまで暗澹とした気分になってくる」とまで言っている。
最後には、この本には関係のないところから作品を引っ張り出してきて「・・・ハイスミスの心の中には、きっとそんな日溜りのような世界があったのだ。少なくとも、わたしはそう信じたい。そう信じないと、作者も読者も救われない」とある。
なんだろうな、このあとがきって・・・。私は、ハイスミスが意地悪婆さんとも思わなかったし、キレのいい風刺が冴えてる!と思っていたくらいだから、このあとがきにはびっくりした。小説家は、社会的にも政治的にも無難なことだけ書いていればいいというのか?例え、思想的に偏った小説だったにしても(ハイスミスの思想が偏っているわけではないが)、読者がそれを読んでどう感じるかは、「・・・してはいけない」などと言われることではないだろうと思う。
しかし、「読まなければよかったと思い、読んだことを忘れるしかおそらく手だてはないだろう」などと言わなければならない本ならば、翻訳の仕事など請け負わずに、読者の目から隠すほうに尽力すべきじゃないのか?と思いもする。最後まで読んだ読者に対して、こんな言い方はないだろうと思う。非常に気分が悪い。翻訳者も一読者として考え、個人の感想として読めば、それはそれで構わないのだが。
ちなみに、裏表紙にある若島正氏の解説には、「おそろしく、おかしく、おぞましく、そしてとびきりおもしろい」とある。私も、未来を的確に予言しているような(実際に現在のことではないかと思えるような作品もある)鋭い風刺は、秀逸だと思っている。そう思う私は「意地悪婆さん」なのか?
2005年08月26日(金)
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