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■ 月ノ石/トンマーゾ・ランドルフィ
内容(「MARC」データベースより) 休暇に郷里の村を訪れた大学生で詩人でもあるジョヴァンカルロは、山羊の足をした美しい娘に出会い、彼女を通して自然の神秘に触れていく。イタリア文学の孤高の奇才といわれるランドルフィの詩情に満ちた代表作。
月は私の好きなモチーフで、この本にはかなり期待していたのだが、思ったようなものではなく(イタリア語の固有名詞もすんなり入ってこなかった)、じっくり読まずにざっと読んだだけ。当然、感想もたいしたものはないので、訳者あとがきから参考になると思われる箇所を抜き出すにとどめる。本書が面白いとか面白くないとか以前に、こういう詩的なものは、気分が合わないと全然ダメなものだから、また機会があれば読み直したいと思う。日本語訳もあまりきれいだとは思えなかったので、そのあたりにも気分が乗らない原因があるかも。
本書は1937年に執筆され、一部が文芸誌に掲載されたあと、1939年に、それ以降72年までランドルフィの作品を出版することとなる、フィレンツェのヴァレッキ社から刊行された。原題の La pietra lunare (月の石、月にかかわる石、月光のような輝きをもつ石)は、月長石を意味する pietra di luna のランドルフィ独自の変形である。このどこかあいまいな言葉には、月光のなぞめいた影響力がうっすらと感じられる。この物語が月明かりの力のもとに生まれたことを暗示しているようでもある。そして、第一章冒頭にかかげられたひとつめのラテン語の引用句も、これが月をめぐる物語であることを強調している。「トンマーゾよ、汝よく我を語れり」これは月が著者に向けて言った言葉としてあげられているが、もともとは『神学大全』を著したトマス・アクィナス(ラテン語のトマスがイタリア語ではトンマーゾになる)にキリストがかけた言葉として、聖人伝に伝えられるものである。時代をさかのぼっていくとランドルフィの家系がトマス・アクィナスの家系に連なるとされていること、同盟のトンマーゾの描いた本書の内容が、別種の聖なる世界に達する物語であることを考え合わせると、この短い一句がなんとも含蓄のあるものに思えてくる。そして天空の星々にあって月こそが、もっともわたしたちの対話の相手になり得る、遠くにあって近しき存在であったことを思い出させる。
(中略)
原著には「田舎暮らしの光景」(Scene della vita di provincia)という副題が添えられている。詩的な表題に、このいかにも日常的な副題はどこかアンバランスに感じられるが、 実際に物語は、退屈な田舎の日常風景と月の魔法にかけられたような世界が交差して進んでいく。大学生で詩人でもあるジョヴァンカルロは、一家の郷里である田舎の大きな館に休暇を過ごしにやってくる。そして山羊の足をした美しい娘グルーに出会い、彼女を通して自然の神秘に触れていく。ある月夜の晩、ジョヴァンカルロはグルーにつれられて山の奥深くまで分け入り、そこで彼の先祖だちの時代に一帯を荒らしていた(今は亡き)山賊たちの宴のさなかにいざなわれる(思えば、ファウスト博士も馬の足をもつメフィストーフェレスに導かれて魔界の宴に赴いた)。そして夜の果てに「母たち」と対面する。
(中略)
ジョヴァンカルロはこうして母なる大地の洗礼を受ける。長い長い月夜の幻想的なイニシエーションを経て、物語はまた、いつもの田舎の光景に戻っていく。
2004年09月26日(日)
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