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 新訳・嵐が丘/エミリー・ブロンテ

寒風吹きすさぶヨークシャーにそびえる<嵐が丘>の屋敷。その主人に拾われたヒースクリフは、屋敷の娘キャサリンに焦がれながら、若主人の虐待を耐え忍んできた。そんな彼にもたらされたキャサリンの結婚話。絶望に打ちひしがれて屋敷を去ったヒースクリフは、やがて莫大な富を得、復讐に燃えて戻ってきた・・・。
─カバーより


以前に一度読んでいるのだが、すでに忘却の彼方だから、それと比べてうんぬんはあまり言えないのだが、こんなドタバタした話だったっけ?というのが読み終えたときの印象。もっと重厚で怖い話だったような気がするのだが、私が大人になったせいで、怖さを感じなくなったのだろうか?

この物語はゴシックだと思っていたが、新訳で読む限りは、全然おどろおどろしい感じはない。それがいいのか悪いのかはわからないが、読みやすいという意味では、確かに字も大きいし、読みやすかった。冒頭だけ、集英社刊の永川玲二訳も読んでみたが、個人的には旧訳のほうが落ち着いていて品格があり、好みかもしれない。

それにしても、ヒースクリフにしてもキャサリンにしても、こんなに嫌な人物だっただろうか?というか、心惹かれるキャラクターが誰もいない話というのも珍しい。前に読んだときには、ヒースクリフとキャサリンの次元を超えた愛というようなものに、とても感動したような記憶があるのだが、今回はそういった感動は全くなかった。自分が大人になったせいだろうか、周囲の人間がみな不幸になるような愛を、愛とは呼べないと思う自分に気づく。

ジェイン・オースティンの小説の翻訳などに比べて、登場人物の会話がずいぶんと幼い感じなのも気になった。しかし、ヒースクリフとキャサリンの愛自体が幼いものなのではないかとも思うと、それも致し方ないのかも。二人が愛の名のもとにどうなろうと、それは二人の勝手だが、周囲の人間、それも直接には関係のない子どもたちにまで彼らの怨念がつきまとうのは、なんとも許しがたい気がする。

ヒースクリフを失った悲しみで気が狂ってしまったキャサリンの心痛や、キャサリンの死によるヒースクリフの深い苦しみもわからないではないのだが、そのあたりがドタバタした感じでなく訳されていたら、もっと同情を感じたかもしれないが、独りよがりの勝手な行動としかとれなかったのは、残念。


2003年07月22日(火)
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