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■ The Wolves of Willoughby Chase (Wolves Chronicles)/Joan Aiken
寒い寒い冬のある日、ウィロビー家の娘ボニーのもとに、厳格な女性家庭教師がやってくる。両親が船旅に出かけるためだ。しかし、この家庭教師、何か謎があるようだ。
一方、ボニーのいとこで孤児のシルビア(伯母と一緒にロンドンに住んでいる)は、ボニーと一緒に過ごすため、列車でボニーの家に向かうが、途中で列車が狼に襲われたりして、とても大変な思いをする。
こうしてボニーとシルビアの物語が始まるのだが、児童書ではあるものの、エイキンの文章は全然子どもっぽくなく、昨今のはしゃぎすぎのファンタジーとは違って、雪が降る音のように、静かに進んで行く。このあと二人に、何が待ち構えているのだろう?という期待を抱かせて。
[家庭教師] シルビアは無事ボニーの家に到着。でもあの女性家庭教師(ミス・スライカープ)、どうも怪しい!何か怪しい!と思ったら、やっぱりウィロビー家の財産を狙う悪者だった。
両親が船旅に出てから、スライカープの態度が急変し、ボニーとシルビアに酷い仕打ちをするようになり、両親は船が沈んで死んだと騙し、「両親が死んだ以上、私が後見人です!」と言い、遠くの恐ろしい「学校」(?)に入れてしまう。
さてここで、ん?と思う。これはまさにレモニー・スニケットの<不幸な出来事>シリーズだ。両親ともに事故で死に、財産を狙う遠い親戚だと名乗るおじさんだかおばさんだかにいじめられ、不幸な目にあう子どもたち。間に立つのは、役に立たない弁護士とか銀行員。スニケットのほうは、子ども達だけで試練に耐えるが、こちらは味方になってくれる使用人がいることがまだ救いかも。このあたりは<Dimanche Diller>シリーズの状況に似ている。
[スニケットとの類似] この似たような物語は、出版したのはエイキンのほうが先。スニケットがこれを読んでいた可能性は高い。
このシリーズ、タイトルも『Black Hearts in Battersea』、『Nightbirds on Nantucket』と続くのだが、これもスニケットの『The Bad Beginning』、『The Reptile Room』などといった頭文字を合わせるやり方が一緒。ただ、エイキンのほうは、その後こういうタイトルはつけていない。
そして、そこはかとなく漂う悲壮観。これも両者に一致するが、大きく違うのは、エイキンのほうは最後に希望が見えているが、スニケットのほうは、どこまで行っても見えないこと。またスニケットは悲壮観の裏側に、それを覆すユーモアがあることなどなど。両者は明らかに、「似て非なるもの」である。
「いたいけな子どもたちが酷い目に合わされる話」という意味では、両者ともにそっくりだが、こちらは最後にハッピーエンドになるので救われるということになるのだろう。でも、シリーズとして続くなら、個人的にはハッピーエンドでないほうが好ましい。でないと、次はどうなるの?いう興味が半減してしまう。
ここでは、悪や不幸はすべて滅ぼされ、みんなが幸福になる。もう一度言う。悪を除いた「みんな」がだ!!!逆に言えば、お金にものを言わせて幸福になるといった穿った見方もできなくはない。むしろ不幸なままで終わるほうが自然に感じる。
全体としては面白かったが、どうしてもスニケットと比較してしまい、この本のオリジナルな部分を楽しめなかった。こちらを先に読んでいれば、また違った感想になったかもしれないが。
というか、スニケットの<不幸な出来事>シリーズがなかったら、これはすごく面白い話だと思えたに違いない。いずれにしても、エイキンにはエイキンの独自の奇想天外な世界があるようなので、続きも読むことにする。
それにしても、ここに出てくる狼の役割はなんだったのだろう?「狼=悪、不幸」ということなのか?
2003年02月13日(木)
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