へそおもい

2004年10月27日(水) 維新派

初めて維新派をみにいった。

数年前のエッセイを読んでいたら
維新派の話がでていて、
ちょっと気になっていたら、
知り合いのホームページでその名前をみて、
そのあと、何かの広告で
今大阪で公演していることを知り、
やたら維新派が目につくということは、
これは行けということなのか、
ということで予約したのだ。

行ける日はきょうしかなく、
今日の仕事はいつも残業なのだが、
朝から“定時に帰ります”宣言をして
5時すぎには職場をでた。

それでも
南港についたのは
公演15分前。

ニュートラムをおりてからの
殺伐とした風景の中に、
いきなりあらわれる屋台村。

たき火があって
酒も食べ物もあってワクワクする
あたたかさ。

その広場のまんなかから
客席に通じる階段がある。
ラムチャイを片手に客席へ。
なんて楽しいのだろう。




維新派はすばらしかった。
こんなすばらしいものを作るチカラを
人間はもっているのか!
ホントに来てヨカッタ!
そうおもった。

誤解をおそれずに言うと、
便利を追求するこの日本社会では
無駄だとされるようなことに、
こんなに真剣にエネルギーをそそぐなんて、
なんてすばらしいことなのだろうかと
おもったのだ。

野外の壮大な舞台セットや
想像を絶する連続するアイディア、
絶妙な動きとタイミングと音。

すごいとかすばらしいとか
抽象的な表現ばかりなのだが、
そうとしか表現できないような
さまざまな種類のたくさんのものが
その場所にはつまっていた。

感動した。

終演後屋台村に戻ると
広場では、
もと?憂歌団の木村さんが歌っていた。

たくさんの人が
おもいおもいに
踊ったりたべたり
しゃべったりしている。

それでも
みんな共通して
維新派のつくったこの空間を
愛おしくおもっている感じで。

わたしは、
マッカリとかお湯割りをのんだり、
おでんをたべたりしながら、
焚き火にあたった。

空をみたら
流れる雲の間から
月がみえて、
火の粉がとんでいた。

かえりたくない、
かえりたくない、
かえりたくない、
もうちょっとここに浸かっていたい。

そうおもいつつも、
現実は流れている。
明日は仕事だし、
電車がなくなったらかえれないし、
お金もない。
うしろがみをひかれつつ帰宅。

大袈裟だが
今のわたしにとって
人生を左右するくらいのものが
このひとときにつまっていたような気がする。

ああほんとうに
生きててよかったなぁ。


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はたさとみ [MAIL]

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