2005年はがんばろう |
後輩ボクチャンは自覚する私以上に鈍感で無神経なので(ヒドイな…)、元気にがんばってくれると信じます。斯様なヒトは社会ではつおいと思うのよ。 私も斯くありたかったけれど。 無神経にツメタク切り捨てたかったけれど。 できなかった。 こう書くと、私があたかも繊細で神経質かのように思われるかも知れませんが、それもまた違い、私は鈍感で無神経でツメタク、またそれを自覚するがユエにプレッシャーと劣等感と自己嫌悪が積み重なってゆくという、ああ、この中途半端さがすべての要因のような気がしています。いまでは。 これまで職場でのことは愚痴も泣き言も家族や友人に云わずにきました。そういう時間を惜しんで仕事に明け暮れていましたし、すべては自分の所為だと、自分さえ確りしていれば大丈夫なのだと思っていました。いまは気が抜けたのか、居間でダラダラしていると、酒気の所為だけというわけではなく、ポロポロとこぼれてきます。そんなとき、母上がぽつりと「あんたはアボジに似てるわ」と呟きました。「アボジもそうだった。全部自分で抱え込んで。だから病気になったんだわ」 アボジ(父)のことを、私はもう、鮮明に思い出せません。もちろん遺影はあるし思い出もあるけれど、「どんなひとだった」かと知るまえに、彼はいなくなってしまった。アボジと共に暮らした年月を、アボジのいない年月は既に追い越してしまいました。幼い私には「アボジ」は「アボジ」でしかなかった。 アボジは私たち姉妹に「民族の花になれ」という言葉を残しました。 到底、アボジが望んだような「民族の花」になどなれそうにありません。いまではそれを恥じるつもりもありませんが。 アボジが生きていれば、たぶんたくさん喧嘩したンじゃないかな。それとも私ももっと愛国愛族的なジンブツになっただろうか。そうなれなかったことを、やはり恥じるつもりはありませんが。 私は私なりに、一生懸命生きた。これからも一生懸命生きよう。 それだけ。
さて、そろそろアルコホルを抜かないと社会復帰が難しいゾ(する気あったのか)、というわけで。 2005年はがんばろう。 とりあえず私以上に鈍感で無神経なボクチャンへの引き継ぎから。
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2005年01月02日(日)
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