空色の明日
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2000年08月27日(日) 生き残る方法

まさか二日目にしてアイツのことを書くことになろうとは。
今日のお昼ひさしぶりに奴がやってきた。
ドンッと突き上げそのあとミシミシと周りがきしむ。
そう数年前、私の人生で一番派手なたたき起こし方をしてくれたアイツ。
今日のはおそらく震度2くらいだろう。
山積みされた商品や巨大冷蔵庫に囲まれた狭い事務所で最初の揺れを感じた瞬間「ココにいたら死ぬ」と飛び出した。
アイツに出会わなければそんなリアクションはおそらくとらなかったろう。
あの朝震源地に近い家ではその揺れは二度に分散されてやってきた。
はじめのやつが止まったとたん母親の寝ている部屋に私は掛け込んだ。
彼女はいつもたんすの横で寝ている。
掛け込んだ瞬間に二回目がやってきた。
彼女はたんすをおさえる私に「なにやってるの!布団頭から被って!」と叫ぶ。
彼女はその時天井が落ちてくることしか考えなかったらしい。
巨大なたんすの横で布団を頭から被って丸まっている。
後から私がたんすを押さえていた意味を知って「これが生きるか死ぬかの別れ道だね」と笑っていた。
平和な時代に産まれた私は子供のころから戦争や災害のテレビを見る度にその晩「水道が止まったらどうしたらいいか」「ガスが止まったらどうしたらいいか」「地震がきたら何をまずすべきか」布団の中で考えていた。
それがこんなとき役に立つとは・・。
もちろんその後もすぐに水をありったけ貯め置いたり電気炊飯器(ガス炊飯器を使っていたため)や電気グリル鍋を電器店に買いに走ったのは私である。
(その日の午後にはそれらのものは電器店から姿を消した)
その時を境に親が急に私を頼ってくるようになった。
生き残るには経験だけではない。
全てはとっさの判断でしかない。
けれど私の祖母はさらにサバイバルな場面を生きぬいてきたのでこの日もベッドに静かに横たわり「よく揺れたね」と一言だけだった。
その話は長くなるのでまた次に。


安藤みかげ