2003年01月03日(金) |
『初春』2(女の子ヒカル) |
ヒカルからの思いもかけぬ言葉に固まった美津子だったが、そうそうじっとしている訳にもいかない。なにしろ今日は30日。やることは山積みなのだから。 美津子は表情をひきしめ、娘を振り返った。
「ヒカル」
ヒカルはみかんを頬張ったまままばたきする。
「ふぁに(なに)?」
「初詣に着付けを着せて振袖はお礼がいるのかしら?」
ヒカルは助手席で風呂敷を抱えたまま、くすくすと笑っている。 「ヒカル///。いいかげん笑うのやめなさい」 車を運転しながら、美津子は頬を赤くしながら娘を叱りつけた。 「だぁってさぁ…かーさん、いきなり真剣な顔したかと思ったら……」 くすくすくす。 ヒカルの笑いは止まらない。 「……まったく…誰のせいだと思ってるの?!」 美津子は憮然とした顔のままだった。ヒカルは何とか笑いをおさめ、にじみ出た涙をふいた。 「はいは〜い。珍しいコト言ったオレのせいだよ〜。…次の信号、左ね」
…あの後、焦るあまりに日本語まで焦ってしまった母の言葉にヒカルは爆笑し、美津子本人もそれに気がついて赤くなるやら怒るやら……しばらく収拾がつかなくなったのだった。 照れを隠すようにそそくさと自分の着物を引っ張り出しにかかった美津子だが、彼女の持つ着物では、どうにもしっくりくるものがない。顔立ちは母親ゆずりの筈なのに、何がいけないのだろうかと母娘で首をかしげながら、祖父の家を尋ねてみることにした。彼の家には、今は亡い平八郎の妻…ヒカルの祖母の着物が若い頃のものから結婚後に誂えたものまで保管してあるはずなのだ。 しかしずいぶん古いものだから、果たして着る本人が気に入るものがあるかどうか……と心配していると、意外にも、黒地に梅の模様を散らした古典的な柄にヒカルは興味を示した。 「これが良い!」 しかしそれは小紋と呼ばれる、いわばちょっとした普段用、と考えられるもので、振袖と比べても袖も短く、どうしても華やかさに欠けてしまうように思える。 美津子は総絞りの振袖も勧めてみたが、合わせてみるとヒカルにはかなり大きく、いくら着物が多少修正して着付けられるといっても、あまりにも無理があった。 結果、着物はヒカルの希望を通すことにしたのだが、古典柄とはいえ、黒地に赤い花という、大胆な色合いである。素人の美津子には、どういった帯を合わせてよいのか分からず、平八郎はもとより、ヒカルにも皆目見当がつかずに、取り合えず出した着物を片付けていたところに、ヒカルの携帯が鳴った。 「帯は着物に合わせて、貸してくれるって。…でも、できれば事前に見て小物類も合わせたいから、時間があるなら今晩持ってきてもらえると助かるって〜」 電話の相手は、件のヒカルに着物を着せてくれるという人物からのもので。 渡りに船と頷くと、ヒカルは用件を伝え、時間を決めるとさっさと電話を切ってしまった。 「ヒカル!切ることないでしょう?!いろいろお礼もご挨拶もしないと……」 「…?どうせ今晩行くんだから、その時言えば良いじゃん」 けろん、と応える娘にめまいを覚えつつ、美津子はその人物のものとには自分も行くことを了承させたのだった。この娘ひとりでは、先方さまにどれだけ失礼を働くか分からない、と危惧した結果である。
そんなこんなで急いで年末の買い物を済ませ、(ヒカルは当然荷物もちに駆り出された)晩御飯のシチューを仕込んでおいてから、美津子とヒカルはその目的地へと車で向かったのだった。
「…ここだよ」 ヒカルが示した古い呉服屋。その看板には、「あつみ」と書かれてあった。
「呉服屋さん?!何でそんな人と知り合いなの?!」 「んー、とね。2年くらい前、棋院のカレンダーの仕事でオレ、着物着たじゃん。それを着せてくれたのがここの呉服屋さんで、今年の夏に父さんとオレが雨宿りして着物貸してくれたのもココの女将さんなの」 「なんでそれを早く言わないの?!」 「だって、かーさん何もきかなかっただろー」
……正確には、違う。 尋ねても、こちらが答えて欲しい事柄が答えとして返ってこなかっただけだ。例えて言うなら、キャッチボールしようとボールを投げたのに、何故かヘディングで返ってくる。そういう感覚が一番近いといえるだろうか。 ――そうだった。こういう娘だった。 美津子は改めて娘についての認識を確認し直した。囲碁をやるようになってから、ほんの少〜しは常識が身につきはじめたかと思っていたが、いかんせん、幼い頃からのピントのずれた天然さは健在だ。 …しかしそれが、好ましいと映る人物が意外といるらしいのも事実だ。
暖簾の奥から出てきた着物姿の女性。 彼女も、おそらくそういった人なのだろう。 にっこりと笑顔をたたえた表情で出迎えるその様子に、美津子は確信に近いものを感じた。
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