椰子の実日記【JOYWOW】
2006年01月11日(水)
クオリア
茂木健一郎さん
が面白いことを言っている。
有名ラーメン店に指導してもらって、その店名を冠した カップ麺がコンビニに並んでいるのを見ると、 「本来流通させられるはずのないものを流通させよう としている」変な感じがするというのである。 有名ラーメン店で食べるラーメンは、その店で 食べることに意味があり、そこで「おいしい」と いうクオリアが脳に発生するからいいのであり、 「ご家庭」で同質のクオリアは生まれない。
言葉も同じで、これは養老孟司さんも言っているが、 本来言葉も流通させられない。例えば、「ご縁」と いう日本語がある。これを無理やり英語に直した とする(ぼくにはできないが)。仮にemotional ties とかね。
それでも、英語になった「ご縁」と、日本人が使う 「ご縁」とは似て異なるものである。
記憶には短期記憶と長期記憶があって、長期記憶は 日常の個々のエピソードの蓄積が脳の中で編集・蓄積 されて形成される((c)茂木健一郎)。 要するに、日本人が「ご縁」と言うとき、これまで 生きてきた生活の中で例えば祖母が「あの人とは ご縁がなかったんだねえ」と言った一言であったり、 「今回はご縁がなかったということで・・・」と 商談で失敗したときに言われた**会社の**部長の 言葉であったり、それぞれのコンテキストの中で 蓄積されていったものであり、辞書の中に名詞と して解説されるような言葉の羅列では決して表現 しきれないものだ。
翻訳者として気をつけてきたのはこのあたりで あって、文化の違う著者のもつ長期記憶へ想像力を めぐらせ、日本語に移し変えることが即ち翻訳という 仕事なのだ。
脳の研究は面白いね。クオリアについても、もっと 勉強しよう。
参考:養老孟司+茂木健一郎、スルメを見てイカがわかるか! 角川oneテーマ新書 茂木健一郎、クオリア降臨、文藝春秋
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