金曜日は、意味深な1行で済みません。
最愛の祖母が入院いたしまして、一進一退状況が続いております。ただ、今後どうなるか、ちょっと予断を許さない状況なので。 お見舞いに行くつもりでいたのですが、集中治療室に入っているため、近づくことが出来ません。小康状態になったら来い、と叔母に言われました。 見舞客が、治療の邪魔になるんだそうです。
金曜日から、ぐちゃぐちゃ祖母と過ごした時間を思い返しては、胸が痛くなって参りました。 なにしろ、おばあちゃん子なのです。 去年から数えるほどしか会いに行かなかったことを悔やんでいます。
そんな状況から逃れるために、本に没頭しようとしたのですが、完全にはダメでした。 ごめん、確かに面白かったのだけれど、読んでるときの精神状況が悪かったからかな。
「黄金の羅針盤」上・下巻、フィリップ・プルマン著、新潮文庫を読み切ったのですが、しっくり来なかったんですわ。 私は本を読んでいるときに、映像を同時再生しながら進めていくタイプですが、通奏イメージがずっとミツバチの巣穴のようなきっかりした六角形であったり、箱根の寄せ木細工のようなきっちりした幾何学模様だったのです。 私は、物語のエネルギー、キャラクターが引っ張る力、物語が自分自身で生まれたがってる無意識の動力、みたいなものが好きなのですよ。 たぶんそれは作者が意識して書くであろう、構成の組み立てによる美しさではなく、自然に動いてしまって引っ張られて困惑する部分、なのかも。 それがどれほど、破綻しかけていても、非対称の物語には、無性に惹かれてしまうのです。 つじつまが完全に合わなくても、ほとんど気にならない、非論理的な思考をしているからでしょうか。
いずれ、再読した時には感想が変わっているかもしれませんが。
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