我が隠れ家には、現在ゴージャスな花束があります、 大輪の白薔薇が、8本。 丈の高い 雪柳。 それよりももっと、私の身長の2/3以上ある、柳の枝。 しかし、隠れ家にはこれらの重心の高い枝モノの樹木や、大輪の花を気持ちよく据えておく 花瓶がありません。 このゴージャスな花々は、私が手洗い(洗濯機がないから)で、靴下や下着を洗う バケツに突っ込んであります。 それでも、元がいいのいか、大変元気に水を吸い、生き生きとしております。
これらは、先日の和太鼓のコンサートでもらったのです。 20周年だったせいか、ロビーはすばらしい花篭や、花輪であふれていました。
客席でグズグズしているのが嫌いなので、終了と同時に席をたったためか、 帰りのロビーで、それらのお裾分けの一番いいところをもらったのです。
しかし、私の覚えている限りで、20年前くらいの東京では催しに集まったお祝いの花を、 お客にお裾分けする習慣はなかったように思うのです。 中部から西の方で、お祝いの花輪は縁起もののお裾分けとして、帰りにお客がいくらでも引きぬいていい、 と聞いたのも極さいきんのことのように思います。
いつからお花のお裾分けがアタリマエになったのだろう。
私個人としては、もったいない&お裾分け は分かるのですが、 お花の解体は大抵 楽日にあり、そうでなくてもややしおれぎみのお花を、 たまにですが、仏花のように、適当にとりまぜて紙に包んでくれるのは、 正直、美しい行為には思えないのです。 でもたまに、それでももらってしまうのは、高価な花であることと たとえその時しおれていても水揚げがうまくいけば、何日も、場合によってはただの枝から瑞々しい新芽がでてくること、 そして、どうも人をみているのではないか、というくらい好みのテイストばっちりのお花を手渡されたりするせいです。
そうですか。 私は白薔薇ですか。
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