| 2003年04月23日(水) |
nunca olvidare' |
「おねえさん。お尋ねしますが いまは朝ですか。夜ですか。」
道を歩いていて こんな質問をされたら、どう答えるべきでしょうか。 優しいひとは、 「おばあさん、一人なの?おうちはどこ?送っていきましょうか?」 そういう流れになりそうです。でもわたしはそんなに優しくないので、 「いまは、夕方です。四時くらいです。」 と、答えました。彼女は 「夕方ですか。それなら薬を飲まないと・・・」 と、またどこへともなく歩いていきました。
彼女はたぶん自分が起きてからどれくらいたったのか、この世界の明るさが朝のお日さまなのか夜の灯りなのかは、わからなかったのかもしれないけれど、夕方には薬を飲まなければいけない、ということは覚えていたようです。 そして、わたしの返事に満足したようです。 少し観察して、足取りがしっかりしていること、服装がきちんとしていてはいかいの匂いがないことから、放っておくことにしました。 いくらなんでもそこまで優しくないわけではないので、怪しい匂いをかいだらば、しばらく尾行して車にひかれないように密かに見張ろう、一層やばげならばとりあえずうちに連れて行こう、くらいは思ったからです。
町を歩いていると、地元でも大阪でも巴里でもどこでもいろんな人ががいろんな言語で話しかけてきます。すべて質問です。ほとんどは道をきく目的です。 世の中には道を聞かれやすいタイプと聞かれにくいタイプがいるようです。それは地元臭や、愛想とはなんの関係もないようです。まわりに居る前者タイプもモヒカンヘアがいたり、おじさんかおばさんか一見わからないおばさんがいたりです。アフリカでどうみても東洋人でもおかまいなしです。 我らがどんなサインをだしているのかはわかりません。わたし自身は地図やマニュアルに強いほうで、まず行きずりのひとにものを聞いたりしないので、道端や駅の切符売り場や銀行でなにごとか困りはててしまい誰か・・・ とあたりを見回している人が、通り過ぎる群集の中からなぜ、前者タイプを指名するのか分からないのです。
この用件のはっきりした話し掛けはひとまずおいておいて、ほかに話し掛けてくるのはほとんど老人です。それから家のないひとです。近頃は夜の街をウロウロしたりしないので酔っ払いに話し掛けられることはほとんどなくなりました。 これらのひとたちの共通項は乱暴にいえば、世の中からまともに相手にされない、ということかもしれません。動いている世界とはもうほとんど関わりがないからです。最初のおばあさんのように世界を認識しなくなっているひともいます。 だから話し掛けてくることも大抵はどうでもいいことです。 「あんた東京のひと?」 「(あんたの)お母さんは元気ですか?」 「あしたも寒そうor暑そうだ。そう思わないか?」 「わたしの人形or犬or自転車etcをみたことあるか?」 「(わたしの)兄嫁の名前を忘れた。しらないか?」 返事も簡単です。 「そう。」「ちがう。」「そうかもしれない。」「しらない。」「わからない。」 そして大抵はこれ以上会話が発展したりはしません。彼らにその気はないのです。これは退屈で好意にあふれた老人から公園のベンチや電車の席で話し掛けられるのとは違うのです。たぶん彼らはわたしの顔なんか見えていても見てないし、当然人柄も興味ないでしょう。質問だって自問自答のようなものです。返事が返れらなければまた別の受け皿がくるのを待てばいいだけのようです。
こういう時、返事をするタイプとしないタイプもいるわけです。わたしがするタイプなのはたんにクセで瞬間的に返事をしてしまうので、係りをもったという感覚もありません。思い切り避けて歩いたり無視したりするひとと大して変わりはないのでしょう。むしろ普段返事をしないタイプの方が、いざとなると話し込んだり助けようとしたり善意のひとになるような気がします。気のせいかもしれないけど。 人とのかかわりの深さの好みかしら。 わたしの好みでは、質問したらまずその返答を聞かせてほしい。 自分があやうくみえていたとしても、倒れない限りは黙ってみていてほしい。 みんなそれぞれ好みがあって、他人と係るときに自然にそれがでるのではないかしら。
わたしとしては今日のおばあさんは「朝か夜か」を聞いていたので、「朝でも夜でもない。夕方だ」と答えればよかった、と少し悔やみました。が、夕方という答えから薬を飲むということを思い出させたならいいか、とも思いました。まあ朝でも夜でも=薬を飲む という回答がでてきたのかもしれませんが。
忘れるって面白いですね。同じように 覚えている、ということも。 昨日ひさしぶりにamiのことを思い出し、思い出したことで幸せになったということをコレを書いていて思い出しました。
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