Kin-SMA放言 もくじ|昨日のこと|明日のこと
大阪帰りざんす(′_`)けっこう疲れた すわて、松竹座の話。 夜の部「夏祭浪花鑑」が鳴り物入りで、ぼくも勿論こっちに惹かれて観に行ったんだけど、蓋を開けたら昼の部が大収穫。 特に(中村)勘太郎 in 「野崎村」(お光)また? って声が聞こえるなぁ(^^ゞ でも懲りずに言う! だって本当に素晴らしいんだもん(>_<。) 久しぶりにロビーでお見かけした好江さん(勘九郎夫人)に、 「雅行さん、ホントに素晴らしく成長されて(感涙)」 と訴えたかった(しなかったのかよ)←だから言ってるだろ! ぼくはシャイシャイ中年なの! 多分見巧者の方からご覧になれば、いろいろとダメ出しもあるお光だったのだろうけど、ぼくの目からは完璧。 前半の田舎娘らしいぞんざいさ(お染に気づいてぴしゃっと戸を閉める仕草とか、くるっとお尻で回って縁側に上がる体のキレとか)、だけど下女とは違う年頃娘らしいお行儀の良さ。 後半の、うってかわった大人っぽさ。「あにさん、おまめで・・・」のセリフの情感。万感の想いを込めた、絞り出すようなつぶやき声なのに、三階席までちゃんと声が通る。 『新選組!』の撮影があったので、こんなすごい役者をニューヨーカーに見せてあげられなかったのが、ホントに残念だ(まぁ、お父さんが行けば充分かもしれないが) そういえば平助、とうとう伊東について出てっちゃいましたねー。その後の彼の運命がわかってるだけに、複雑な別れでした(;;) ちなみにテレビで観る勘太郎は、顔は京芋みたいに無骨だし(オイ/怒)、セリフも時々ロレルし、『新選組!』の平助でしか勘太郎を知らない方は、どうしてぼくがこんなにかんたろーLOVEかんたろーマーベラス言うのか不思議でしゃあないと思います。 いっぺん観に来い。歌舞伎座へ。(強気) すごいんだから、とにかく。 閑話休題。 (中村)七之助。お染はヒロインお光の恋のライバルだし、役も一段格下なので、観客からはお光ほどいい印象を持たれないのも確かなのだが、それにしてもやっぱりあんまし「可愛い」と思えず。 おととしお正月の浅草で演ったお染は、観たんだったかなぁ?(頼りないな〜) 多分あの時よりは良くなってたと思うんだが(不確実な無責任コメントをするな!) まぁ、この役は玉さんのを観ても「いやな女!」って思っちゃうほど損な役だしな。 でもホントは一番悪いのは久松なんだが(笑) その(中村)扇雀、前髪と女方の区別がついてない(まぁ、よほどの役者でなければつかないものだが、ちゃんとついてる一流どころを観てしまってる目からは、はなはだ食い足りず) この人は、意外と普通の二枚目(つっころばしじゃなくて、ホントに白塗りの、たとえば先崎弥五郎みたいな役)の方が合ってるんじゃないかと時々思う。顔がお母さん(扇千景)似だから女方の方が合ってると本人も周囲も思ってるのかもしれないが、ぼくが観た中で今まで一番良かったと思うのは、実は「宿無団七」の徳兵衛なんである(分かる人は、びっくりでしょ?) 弥十さん(坂東弥十郎)はベリィナイス。あんなにガタイがいいのに、おじいちゃん役が違和感ないのはさすが。夜の三婦みたく、威勢のいいじーさまが合うのはわかるけど、こういうややよれよれのお年寄りもちゃんと出来るところがすごい。 弥十さんと勘太郎のコンビネーションで思う存分泣けました。大満足(両花じゃなかったことなんて、何の瑕にもならなかったぞい) 「橋弁慶」 こういう演目は南座で観たいものだ(ぜいたく言うな) でもこの所作事は、俳優祭の中継で一回観たっきりだったので、嬉しい。 弁慶のひっこみが、その俳優祭の時と違ってたけど、なかなか面白かった。 でも、ここで特筆すべきはやはり七之助の身体能力の高さ。 さすが暁星学園初等科二重跳び記録保持者(爆) 助走なしで五条大橋の欄干にぽーんと飛び乗るんだけど、あれは多分高足(たかあし)と同じ高さだと思う。つまり84センチ。 すごくねぇ?!(◎_◎;) ヨネ(米花剛史)のバク宙ぐらいすごいっしょ? セリフはまだまだの七之助だが、所作事は一つ残らず観といた方がいいな、と思わせられる一幕であった(ゲンキン) 「お祭り」 しかしコクといい艶といい、やはりお父さま(中村勘九郎)には適わぬのだった(^^ゞ 関係ないけど大向こうさんに注文。 「待ってました!」は一番偉い人が代表でかけてください(笑) 5連続でかかった時には正直「多すぎ!」と思いました。興ざめです。 「狐狸狐狸ばなし」 話の面白さは折り紙つきなのだが、演じる人によっては全然ウケかたが違うことが当たり前ながら判明。 ハッシー(中村橋之助)はそれほど悪くはなかったのだが、去年木挽町で観た時の海老蔵(当時・新之助)が、人前でのおすましぶりとおきわの前での堕落坊主ぶりの落差がステキだったので、ちょっとものたりなかったな。 おきわは断然扇雀よりフク(中村福助)の方が上手だし(でも扇雀も健闘してたよ) なかむら屋、弥十さんに関しては言うことなし。 笹野(高史)さん。「淡路屋」って屋号がついてたのがスゲェと思った(笑) まぁ、「笹野!」じゃ大向こうさんも声がかけづらかろう(新派みたいだし) 何か、正体の分からなさが良かった(≧∇≦) 夜の義平次の時は、この「糸に乗ってないセリフ回し」が少々難だったんだけど、この演目ではそれが逆に面白くて。 「夏祭浪花鑑」 問題(?)のラストシーンは、「あぁ、そうなの」って感じ。 先週NHKでニューヨークバージョンが放映されて、「すげぇ!(大喜び)」って感動しただけに、ちょっと冗漫な印象は否めず。 ぼく自身が、演劇に映像技術を多用されるのが嫌いってのもあるんだろうけど。 演劇の醍醐味は「ナマ」だと意固地に思ってるし、ロケとかしちゃった映像ってのは、観客の想像力を鍛える妨げになるように感じるんでね。 すごいことやってんのにすごく思えない。 ニューヨークの街なかを白塗りの“江戸時代の人”が走り回るばかばかしさは大したものだと思うけど、そういうふうに思っちゃった時点で、もう観客は“団七”じゃなく“中村勘九郎”を観ちゃってるわけよ。なんかそういうの、ぼくはいただけない。 串田さんの演出は、最初のコクーン版(殺し場の最後にいきなり神輿が外から入ってくる)が最も好きだったなぁ(つっても、コクーンバージョンその2を観られなかったんだけど) あと、やっぱぼくの「夏祭」は初めて観た平成元年9月の歌舞伎座が基準になってるので、淡路屋大健闘だったけれども、又播磨(中村又五郎)の義平次と比べちゃいけないのにどうしても思い出してしまう。 又播磨が超一級としたら、笹野さんは“歌舞伎の義平次”としてはやや二級。さっきも書いたけれども、「親じゃぞえ」「ここから斬るか」とかのセリフが、糸に乗ってないのが残念。ここは文楽の本場・大阪のお客さんにはもの足りなかったんじゃないだろうか(つっても、お客さんにはいつもより“エンゲキ”ファンらしい人たちも多かったけれども) でも、死に方は(演出も含めて)すばらしかった\(^^)/←死に方を褒めるって・・・ うわー、長くなっちゃったー(×_×;) つうわけで、残りのネタは明日付けの日記で。これからちょっとお仕事(ええっ?!)
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