Kin-SMA放言
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2003年08月06日(水) まず黙祷。

台風が接近しているようで、湿気がまたすごく、不摂生の体にこたえる。

しんどいけれど、毎年この時期はやっぱりクソ暑い方が、色々考えられていい(ぼくにとっては、だが)

夏のクソ暑い太陽だけでもいい加減こたえていたのに、あの日はもっと凶悪な火の玉が落ちてきたのだ。

しかもそれは、人間の仕業だったのだ。

あれから58年も経っているのに、まだ人間は懲りていない。

知ってる人は、知らない世代に伝えなきゃいけないのに。

58年も経っているせいか、まっさらな形で伝えることが、ますます難しくなっている。




先週だったか、広島平和記念公園の千羽鶴が、イライラ大学生によって燃やされてしまうという事件があった。

平和の祈念よりも、自分の目先の将来の方が大事だったらしい。

この58年の間に、自分のことしか考えられない名門大学生を育ててしまうような国になってしまったのだ、この日本は。





ご多分にもれず、ぼくが小学生の時にも、夏休みの宿題で「親に戦時中の体験を訊いてこい」というのがあったが、ありがたいことにぼくの生まれ故郷は空襲のないトーホグだったから、終戦時小学生だったウチの親も、さほど悲惨な戦争体験を持っていなかった。

正味なハナシ、周囲が農家だったから、食糧難も都市部ほどでなく、ほとんど実感がなかったみたいだ。

仕方ないので、近所に住んでたおじさんで、息子が特攻隊で亡くなった人を訪ねて話を訊いた。

・・・なんか、自慢話っぽかった。

それも当時(昭和40年代)としては仕方なかったのかもしれない。

「はだしのゲン」も読んだ。あれはとにかく絵が陰気(当たり前だが)で、小学生にはきつかった。

トーホグなので、修学旅行は中学では東京、高校では奈良・京都だったので、広島には行ったことがない。

大人になってからも、時期を逸して行っていない(反省)



そんな、他人様のことはとうてい批判できないぼくだが、せめてこの時期だけは、色々考えることを心がけている。

無関心になってしまうよりはいいと、自己満足だが。

そろそろ“伝える”側にならなきゃいけないお年頃なのだが、恥ずかしながら(こういうセリフを言った人もいたな)なかなかその機会を持たない。

どんな形でもいいから、きっかけを手にした若い人たちは、毎年このことについて考えてくれたらいいと思う。

ぼくにも身に覚えがあるが、社会科の先生によほどカリスマ性がない限り、「学校で教えられた」のがきっかけでは、いまいちインパクトが弱いと思う。

ぼくの場合は、小学校5〜6年の担任の先生が、すごくカリスマ性のある先生だったので、その先生のおかげで色々勉強する気になれた。感謝している(ぼくが中一の時に亡くなってしまったのだが。中一にして“美人薄命”という言葉を実感した)



いきなり話がミーハーになるが、ぼくは昔、風見慎吾(現・しんご)くんが大好きだった。

彼は広島出身である。彼のお母さんが「被爆者手帳」を持っていることを、しんごくんは当時アイドル誌上で語っていた。

この話が、大好きな先生の記憶が薄れかけていた時期に、再びぼくの気を引き締めてくれた。

こういうきっかけでもいいのだと思う。

それこそ、ゴロちゃんの舞台(『広島に原爆を落とす日』。これはぼくにとっては筧(利夫)くん&なるしー(池田成志)だが)やスマステがきっかけならば、願ってもないことだ。





そんなわけで、時々えーかっこしいをしてしまう中年ておどる、本日はこれにて就寝。




←詳細は明日!(嬉しそうやなぁ〜・・・/呆)




ておどる 【2006年以降に書いた日記はこちら】てくてくミーハー道場