Kin-SMA放言
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2003年06月28日(土) 闘魂込〜め〜て〜♪

土曜日なんで、いつものように『キンキラキンキワールド』からまいりましょう。

良かった、こっちはまだ二人だ(これもいつまで・・・(T_T))



今日の内容は「キンキラおハガキスタジアム」とかいう(普通にハガキを読め)・・・これが意外と、ところどころにうきゃきゃな発言が。



例によって、つよっさん先導で始まったアバンタイトル。「光一さんの好きなモノ」でご機嫌をとろうというのだが、当然光一さん「どーせ今日も、オレの好きなモノをバカにする気でしょ?」とやる気なし。

するとつよっさん、もったいぶりながら、

「この後ですね、スタジオに、光一くんの好きな、あの・・・(突然マイクに近づき)巨人軍の選手が(めっちゃ囁き声)

、びっくりした(◎_◎;)

ホントに光一さんの耳元で囁いたのかと思ってしまった(構造上そんなわけない)

冷静になれ>オレ(−−;)

・・・すいませんね、このところヤ○イモードなもんで(いいかげん社会復帰しろ〜)



続いてツボ1。

「ペタジーニの奥さんて、知ってる? ペタジーニの友達のお母さんやで」(←ぼくも知らんかって、びっくり!)

「・・・(しばし呆然として)なにしとんねん?」

「(笑)歳の差が・・・」(←いや、そういう問題じゃ・・・)

「いやいや、なにしとんねん? オレが内藤君(←久しぶりに出た!/笑)のお母さんと結婚するようなもんやろ」

「そうそう、そういうこと。だから、オレのおかんと結婚するような(笑)」(←してほしそうな口調/コラ)

「ありえへんやん!」

・・・まー、色んな意味で“ありえへん”やろね〜(だから、社会復帰しろ〜!)



ツボ2。

このあと、「これから巨人軍の選手が登場しますから」「来ないでしょ?」「来ます」「名前が一緒なだけでしょ?」「来ます!」「名前が・・・」「来ます!」と痴話喧嘩(オイ)があった後、

(最初のハガキを選んで)「それでは、選手の発表です(エコーがかかってる。ウグイス嬢のつもりらしい/笑)。私の趣味は、ぬいぐるみ集めです」

バカ可愛い〜v(←ビョーキ)



ツボ3。

堂島孝平はバク転ができる(へぇっ!)という秘話(?)があった後、

「最近何に感動しましたか、光一さんは」

と訊かれて、

「ハ?」

この声が、・・・素で。(笑)

あまりにも素で。・・・ラジオは“仕事”じゃないんですかね、この人にとって(今に始まったことじゃないが/微毒)。またくしゃみしてるし(≧∇≦)



でも後半のギター話は、なかなか実りがあった、気が、する(何だこの“間”は?)




←とうとう事務所を敵に!! 独立覚悟か?!(こ、こら〜〜〜!/汗)




さらに、

「今年はね、阪神が強いんじゃなくて、巨人が弱いの!」(断言口調)

好きなチームまで敵に回しますか(笑)。まぁ、故障者多すぎるしねー(と知ったかぶり中年)。光ちゃんよほど今年のペナントレースにご不満のようです(^^ゞ
 気持ちは分かるけどね。



まぁそんなこんなで。

今日のぼくは『天翔ける風に』(東京芸術劇場中ホール)を観劇。

退団後、あっという間にたぁたん(香寿たつき)に再会。でもこの作品は、在団中にもやったヤツ。

あの時は、まず「野田版『贋作・罪と罰』」がミュージカルになってしまったということが納得いかず(笑)

イエイエ、謝(珠栄)先生の“志”は、すごーく分かるんです。先生の英(はなぶさ)にかける“想い”も、理解できると思う。

けどやっぱり、単なる芝居好きとしては、野田ゼリフだけで充分音楽的なのに、なぜ余計な(わっ! コラ)唄にしちゃったりするのかなー? って。

野田演出でもさんざん躍動的な役者の動き(振り付けてたのは、謝先生本人だしね)なのに、わざわざ“ダンス”にする必要って、あるのかなー? とか。

だが今日、唄や群舞を入れた分、膨大なセリフがそぎ落とされていて、本当に必要なところ(つったら、野田さんに超失礼だね/笑)だけで構成されている本作を観て、『贋作〜』の時には、様々な要素に隠れていたように見える、


「罪と罰」のエッセンス

が、ストレートに伝わってきたと感じられた。

この作品が伝えたいモノは、「本当に時代を動かす力とは何か」とか「“みんなのために”という思惑が、どんどん個人の幸福を奪ってゆく皮肉」とか、それこそ色々あるんだけど、主人公・三条英が背負っているものの一つが、

「女であることの幸せと、人間であることの幸せを秤にかけてしまった女の不幸」

というもので、これに謝先生はいたく感じ入ったらしい。

逆にぼくは、そういうのになかなかなじめない人間で、むしろ一番根本の原作である『罪と罰』に描かれているように、ラスコーリニコフが抱えている、

「理想が理想でなくなってしまった自分との闘い」

が、前回観たときより、今回の方がはっきりと理解できて、嬉しかった。

これはもしかしたら、たぁたんが前回よりも、“気張って女になってなかった”からのような気がする(単に、こっちの思いこみのせいなのかも知れないが)。元々たぁたんは、そんな「男役クサッ」みたいなクセはついてない人なので、初演だってすごく自然に英を演じていた(と思ってた)

でも、今日の英は、ホントに、「女を演るんだ」みたいな力みが全く感じられなかった。もちろん“男勝り”な女なんだけど。でも逆に、

「無理すんなよ英、痛々しいよ」

と見られる方が、むしろ英としては正解なんだと思う(大竹しのぶは、“素”で痛々しかった・・・と思わせるほどの演技力、だったんだろうねー。あの人の場合、侮れないから/笑)

でもやっぱ、先入観かなー、清(今回はマユさん(大峯麻友)だった。『贋作〜』では野田本人!)と聞太佐衛門(大谷美智浩さん。グランテールv(笑)。『贋作〜』では吹越満! これまた名演)は、『贋作〜』の方が、深い役だったように思えるなー。

特に、英が「私が殺しました」って告白するシーンで、“公家のプライド丸出し”の清が、一瞬にして慶喜に変化した野田演出には、鳥肌が立ったものです。ここでは謝先生はそういう含みを入れず、むしろ“英の贖罪”に徹していた。そこが初演では「英と龍馬の超絶ラブシーン」に見えた(それもまた良し)のだが、今回は、「英の解放」の方が強く感じられ、ぼくにはそれがとても心地よかった。

うーん、“ミュージカル化”に関しては、未だ細々とした不満は残るのだけど(平沢智さんの唄とか/笑)、謝先生版『贋作・罪と罰』ということでは、非常に実りある作品だった。

それにしてもたぁたん、いい声だなー。ミュージカルじゃなきゃ、あんなにいっぱい唄が聴けなかったんだから、文句言うなんてぼくどうかしてるなー(いや、“作品”とソレはまた別)

次にたぁたんに逢えるのは、『リチャードIII世』だ。・・・これじゃ金が貯まらんわけだよ。


ておどる 【2006年以降に書いた日記はこちら】てくてくミーハー道場