Kin-SMA放言
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2003年04月11日(金) |
オレたちとオマエたち、みんな合わせてJ-FRIENDS! |
こんにちは。14人目のJ-FRIENDSです(爆)←すぐちょーしに乗る
いや、概算で30万人目くらいのJ-FRIENDSです(弱気〜)
30万人目として一つ訊きたいんだけど、このDVDに支払われたオゼゼも、もちろん寄付されるんでしょうね、そゆとこキビシイのよ、おばさんは。こう見えても(どう見えてるか、知らんが)「国際ボランティア貯金」も、してるんだから。たっちゃん(山口達也)のCF見て、ポリオワクチンの基金に、すぐ電話するような人なんだから(ぼくの趣味;楽なチャリティ)“楽な”ってとこがミソ
たわけごと言ってないで、本編行きましょう。
これを予約した時点では、てっきりぼくが買いそびれた「People Of The World」の分も入ってるのかと思ったのだが、そこまで甘くなかったJohnny's Entertainment。
97〜98年の旧東京宝塚劇場に始まった毎年のカウントダウンコンサートから、その年のJフレのシングルを、02〜03年の東京ドームまで網羅し、ラストの年は、ジャニーズメドレーとダンスシャッフル+挨拶、という構成であったのね(別に、これに対して不満があるわけではない)
やはり見どころは、6年の間に刻々と成長(変化)しているわこうどたちの、その変わり様。または、年のせいか、もうあんまり変わらない人たちの、変わらなさ(殴られんぞ、テメエ)
失礼しました。
やっぱ見てると、カウコン行った行かないにかかわらず、
「あー、この年は○○、こんな髪型だった!そうそう」(98〜99年の岡ちの仰天寿司屋ヘアとか/爆)
とか、
「この衣裳、好きだった!」(ぼくは、全員白いのが基本的に好き)
とか、
「この年は、24時間KinKi君と吉田拓郎氏(あー、手術のニュースにはびっくりだった。でもおおごとじゃなかったようで、良かったなぁ)がCXに身を捧げた年だった。この年は、ホントにたまげたというか、呆れたっけなぁ」
とか(笑)、思い出すね。
そして同時に、自分がその年その年、何してたとかも。
その前の年だったか、TOKIOが順番に『徹子の部屋』に出たことがあって、リーダーが出たときにJフレの話になり、ボランティア好きの(笑)黒柳氏がさかんに賛美すると、
「これで、2003年まではジャニーズをクビにならんですむかなと(笑)」
みたいなことを言ってたのが、照れ隠しっぽくてリーダーらしいなと、好感を持った覚えがある。
DVDでの最後の挨拶(個別インタビューじゃないほう)も、リーダーのが一番じーんときたなぁ。飾り気のない挨拶で。もちろん、その前のマボの、
「ここにいるみんながJ-FRIENDSなんだ」
っていう名言があったからこそだったんだけど。
なんか、まとまりのない感想になってしまった。
そしてJ-FRIENDSといえば、ふだんは見られない組み合わせの妙こそが、名物といっても過言ではない。
長瀬+光ちゃん=このバカップル(←オイ)の時は、なぜか「ナガちゃん」「ベイベ」とか「光一さん」とか言えず、「長瀬」「光ちゃん」と呼んでしまう。
伝説のお姫様だっこも、ラストにちゃんと収録されていたが、どっちかっつうとオープニングの「明日が聴こえる」での、
胴抱きっきゃ〜v×手を重ねぎゃぁ〜〜vv=大バカップルぶり
には、言葉もナシ。5万5000人を前に、公開イチャつき。恐いものナシ!(−−;)かないませんなぁ、アナタたちには。 ↑ これ、ぼくは去年のカウコンで、目の前で見た。ナマで見たの初めてだったんで、「ほ、ほんとにやってる!」と、その後5分ぐらい頭の中が真っ白になった(嘘)
あと印象強いのは、周りの誰をも笑わせ、ノセてしまう、太一くんのムードメーカーぶり。
ネアカな太一くんのそばには、もりんやイノッチはもちろんのこと、坂本君、マボなどもわらわら集まっては、ヘンなダンスで盛り上がる。
んー、影のリーダーは太一くんなのかもしれん(笑)
そして、楽器を持っているTOKIOは、やはりズバ抜けてカッコイイ(マボは“持って”はいないが/笑)
そしてそして、
ぼく個人的には、相変わらず人前でしゃべるとテンパりまくるあつくん(笑)の、グダグダな挨拶に大受けする光ちゃん(あ、また言ってしまった)に、
「笑ってくれて、ありがと。キミは最高にいい後輩だ」
と感謝したい(最後には、どうしてもあつくんサイドに立ってしまうぼく。だって、堂本剛くんを好きになった理由には、初めて見たプロフィールに「尊敬する人=佐藤敦啓くん」と書いてたってのが、ヒジョーに大きいのだ)
そして、
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