Kin-SMA放言
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2003年04月02日(水) |
やりきれない。本当に |
張國榮(レスリー・チャン)が投身自殺した、というニュースを知ったのは、『黄泉がえり』を観るために降りた駅の、売店のスポーツ新聞の見出しだった。
「精神的に疲れた」
という内容の遺書を身につけていたとのことと、去年の秋ぐらいから、鬱病が再発(ということは、その前にも患っていた?)したという噂があったことで、それが原因であろうということらしい。 (なんか、あいまい伝聞調で申し訳ない。だって、今の時期での報道ってのは、鵜呑みにはできないもん)
実は・・・観てないんです、レスリーの映画は。(激しく謝罪)
正確に言うと、ここ10年ぐらい、映画らしい映画は、本当に観ていない。
『さらば、わが愛/覇王別姫』とか『ブエノスアイレス』なんて、絶対ておどる好みだよ、とつれあいにまで言われていたのに(わしの趣味をよぉくわかっている感心なヤツ)、「映画は今すぐ観なくても、ビデオを借りればいいから」という理由で、ほんとに観なくなった。
だから、ぼくの張國榮への認識は、
「もりんが大ファンだって言ってたよな」
ぐらいのものだ。
連発する打撃から、あの子を守ってあげてほしい(誰に言ってるかは、判るね?)
ところで、古尾谷さんの事件のときに、何人かの人と自殺について話す機会があった。
3月25日の日記に書いたような持論を展開したら、やはり反発する人が多かった。
自殺者を責めているとはとってほしくなかったんだが、やっぱり責めているように聞こえるらしい。
ある人が、
「体の病気が手遅れになって亡くなる人のことは誰も責めないのに、どうして心の病気が手遅れになって死を選ぶ人のことは、責めるのか。同じじゃないのか」
と言った。
ぼくは沈黙してしまった。
同じだろうか? 違うんじゃないだろうか? やっぱり同じだろうか?
だって、「助けて」って言わなきゃ、周りは気がつかないんだよ。どっちの病気でも。
気がつかなかったほうを責め続けるのは、誰だって本意じゃないでしょう?
そして、当事者以外の人間同士でああだこうだ言っていることを、すごい虚しいと感じたり、いや、いつ当事者になるかわかんないんだし、とか、当事者にならないために考えとかなきゃ、とか、結局堂々巡りだった。
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