またもやmatter小咄
2010年08月16日(月)
「ツマミ足りてるか?」 「おう、問題ねぇ、いいからお前、座ってろって」 閉店後の店のカンターで、即席の飲み会。 今日、エースは大学時代の友人の女の子と飲みに行っていて、帰りが遅い。誰もいない部屋に帰る気になれなくて、サンジはウソップとコーザを引き止めた。 「それで、お前はイジケてここで俺たち相手に飲んでるってわけか」 「そんなんじゃないけど…なんか一人で家にいると色々余計な事考えちまいそうで」 カウンターに肘を付いて、グラス片手にタバコをふかすサンジに、ウソップは呆れた顔をする。エースとくっつく前のサンジは、よくこうしてウソップ相手にクダを巻いていた。考えてみれば、エースが抜きでこうしてゆっくりと飲むのも久しぶりだ。 「あいつに限って浮気は無いぜ、どんだけお前に惚れてるかわかってんだろ」 「だから違うんだって」 その人の事は、エースから聞いていた。別に恋人だったと言うわけでもなく、男勝りの面白い人で、えらくウマがあったんだとか。写真を見せてもらった事がある。とても奇麗な人だった。 別に浮気を疑ってるわけじゃない。エースがサンジの事をとても愛している事は、本人も周囲の人間もよくわかってる。 ただ、彼の昔の付き合いの話を聞かされると色々と考えてしまう。元々性的嗜好はストレートなエースだ。サンジに出会わなければ、結婚して、子供を作って、普通に幸せな人生が送れただろうにと思うと、今でも罪悪感を感じずにはいられない。自分は彼に、子供をあげる事ができないから。 「こんな事言ったらエースが悲しむってわかってるけど…考え始めたらどうしようもなくてさ」 「お前は本当に悲観的だな」 「悪かったね」 「男女のカップルだって子供ができない事もあるし、あえて作らない夫婦も多いだろ。今は」 「うん、まあそうだけど」 納得していない顔で、サンジはカウンターに組んだ腕にぱたりと頭を落とした。サンジを挟んでウソップの反対側に座るコーザが、空いたグラスに氷を足してバーボンを注いでやる。 「コーザ、珍しく静かだな」 先ほどから気難し気な顔で黙って二人の会話を聞いているコーザに、ウソップが声をかける。普段サンジが落ち込んでいたら、真っ先に心配して宥めに入るはずなのに。 「ーーー口を開いたら、言っちゃいけない事言っちまいそうなんで」 そう言いながらチラリと向けられた醒めた目には妙に迫力があって、ウソップはちょっとビビる。 「ごめんな、コーザ、つまんねぇ話聞かせて」 顔を上げたサンジが情けない顔で謝るのに、コーザが慌てた顔をする。 「そんな事ないですよ」 「自分でも情けないって思うよ。でも、本来なら知る必要の無かったマイノリティの苦労ってのを味合わせる事になるんだろうなって思うとさ」 「オーナー……」 グラスを見つめるサンジの瞳から、ほろりと涙が零れた。 「あ…ごめん」 慌てて指先で目元を拭うサンジに、ウソップもコーザもかける言葉がない。どれだけ愛し合っていても、二人は末永く幸せに暮らしました、なんて単純にいくものでもないのだ。自分たちがどれほど奇麗で優しい慰めの言葉をかけたところで、どうにもならない現実は確かにある。 なんとなく黙ってグラスを傾けていると、ガランとドアベルの音がした。皆で一斉に振り返ると、そこにはエースが立っていた。
「よっす、ここで飲んでたのか」 「エース!」 「帰ったらサンジいないし、携帯も繋がらないからここかなと」 機嫌良さげに歩み寄ってくるエースに、特に酔っている様子はない。 「早かったんだな……あ、飲む?ツマミ足すわ」 慌ててカウンターから立ち上がったサンジは、泣いていたのを隠すように、目を伏せたままエースの横をすり抜けてキッチンに向かう。 「サンジ?」 様子のおかしい恋人に、エースはカウンターの二人に問いかける様に目を向けた。 「……心当たりは?」 「え……何?…あ、まさか今日の?」 「まあ、座れ」 ウソップにそれまでサンジが座っていたスツールを指で指され、エースはキッチンを気にしながら腰掛ける。 「だけど彼女はただの友達で、サンジもそれはわかってるはず…」 「問題はそこじゃない。もっと根深いんだって」 「根深いって…なんで突然そんな」 焦った顔でエースがそう言いかけた時、ガン、と派手な音がした。見れば、コーザが手にしたグラスをカウンターに叩き付けた音だった。 「ふざけんなよ、テメェ、オーナー泣かすな!」 「……コ、コーザ?」 決して穏やかな性格ではないが、いつも冷静で、どこか冷めたところのあるコーザが声を荒げる姿など初めて見た二人が目を見開く。 「お前、うわ、いつのまに空けた!?」 それもそのはず、彼が抱えていたバーボンのボトルは、いつの間にか空になっていた。 アルコールのせいか、それとも怒りのせいか、コーザはギラついた目でエースを睨みつけながら立ち上がる。 「オーナーにべた惚れのあんたが他の奴に目移りするなんて思っちゃいねーよ、だけどな、ホレてんなら不安にさせるな、全力で守ってやれよ!」 「ちょっ…何、どうし…」 声を聞きつけて、サンジがキッチンから出て来た。にらみ合うエースとコーザに焦った顔をするのに、ウソップが引っ込んでいろと目で合図をする。 「コーザお前……」 驚いた顔で見上げるエースの目を睨みつけたまま、ダン!と拳でカウンターを叩く。 「ああ、俺はオーナーに惚れてるよ、一番大事な人なんだよ!その人にあんた何してくれてんだよ!」 キッチンの入り口に立ったサンジが、思いもよらぬコーザの言葉に息を呑む。 「でもね、これは恋なんて浮ついたもんじゃねぇ。俺のは愛なんだよ!だから、オーナーの幸せが一番大事なんだよ!」 据わった目をしたコーザは、明らかに酔っている。だけど、だからこそこれが彼の本音だろう。表現は苛烈だが、つまりは二人の幸せを望んでいるという事だ。 「…コーザ」 すまない、と言うのは、彼のプライドを傷付ける事になるだろうから。 「―――ありがとう」 エースの言葉に僅かに目を見開いたコーザは、悔しげな様子で顔を逸らすと、ふらりと立ち上がった。 「……ちょっと頭冷やしてきます」 そう言って出て行くコーザを、サンジが追いかけて行った。しばらく二人が消えたドアを見つめていたエースは、やがてどっかりとスツールに腰を下ろして、ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき混ぜた。 「寝た子を起こすなよ、エース」 「………スマン」 ウソップはコーザの気持ちに薄々は気付いていた。それはエースの様に肉欲も含めた恋愛感情とは少し違うものだと思っているが。コーザのセクシャリティは完全にストレートだし、サンジへの心酔ぶりも逆に歯止めにもなっているのだろうが、きっかけ次第でどう転ぶか。 「サンジはさあ、お前に普通の幸せをやれないって負い目を感じてるんだよ」 「そんな事…」 エースは重いため息を吐くと、掌で顔を擦る。 「俺はダメだな〜……。サンジも、コーザも傷つけちまった」 「まあ、普通のカップルならちょっと喧嘩して、あとは丸く収まるくらいの事なんだろうがな」 カウンターの中に入ったウソップは、棚からバーボンのボトルを取ると、自分と、エースのために出した新しいグラスに注ぐ。 沈黙が落ちる。なんとなく手持ちぶさたな様子のウソップが、サンジのタバコのパッケージに手を伸ばし、一本取ると火をつけた。 しばらくして、グラスの中の液体を見つめながら、エースが口を開く。 「それでもさあ、二人で幸せになるよ、俺ら」 顔を上げて、ウソップの目を真っすぐに見つめて。 「絶対に、一生。死ぬ時には絶対に笑って死ねるから。サンジがいてくれて、いい人生だったって」 「それ、俺じゃなくてあいつに言ってやれよ」 カウンターに肘を付いて紫煙を吐き出しながら、ウソップはマズそうに手に持ったタバコに目を落とす。 その時、入り口のドアがもの凄い勢いで開いて、コーザが口元を押さえて飛び込んできた。そのままトイレに駆け込む。後ろから心配顔のサンジが追いかけて行こうとするのをウソップが止めた。 「放っといてやれ。お前に介抱されたんじゃ、あいつの立つ瀬がねぇ」 眉尻を下げて立ち尽くすサンジに、ウソップは銜えていたタバコを灰皿に押し付けると、ヒラヒラと手を振った。 「お前らもう帰れ、コーザは俺が送っていくから」 「でも…」 躊躇するサンジの隣に立ち、エースは神妙な顔でウソップに頭を下げる。 「すまんウソップ、頼んだ」 「エース」 「帰ろう、コーザには明日俺が話すから」 エースが眉を寄せて見上げるサンジの肩を抱いて促す。 「ごめん、俺が変な事言ったせいだ」 「いや、俺が考え無しだった」 「うるせーよ、お前ら。今回の件は、誰も悪くないし、余計な事考える意味も無い」 お互いに自分を責める二人を、ウソップがばっさりと切る。 「ウソップ…」 「ただ、エース、お前のその能天気なツラにはちょっとムカついた」 ビシっと指を指されて、エースは神妙な顔でもう一度頭を下げた。 「……すみませんでした」
「謝罪も感謝の言葉も不要ですよ、エースさん」 「……あ、ああ、そう?」 翌日、いつもと変わらず不遜なコーザは、サンジと一緒に店にやって来たエースにそう言ってのけた。どうやら開き直ったようだ。 「俺の愛はエースさんみたいに狭量じゃないんです。オーナーの幸せを見守る愛ですから」 「悪かったね、心が狭くて」 「全くです」 「コーザ、あの…」 二人のやりとりをオロオロと見守っていたサンジの肩をがっしりと掴むと、コーザは困惑に揺れる目を見つめて言った。 「大丈夫、オーナー大事にしないといつか足下掬われるって事、俺がエースさんに定期的に思い知らせときますから!」 「いやあのそんな…」 昨日の今日で強くは出られずに、不本意ながらも状況を静観しているエースは、あきれ顔で3人のやり取りを眺めていたウソップに耳打ちする。 「……どうする?俺はこいつをいっぺん殴っとくべきか?」 「いや、そんな事したら、ますますこいつの思うツボじゃねーか?」 コーザは馴れ馴れしくサンジの肩を抱いて「そう言えば俺、新しいカクテル考えたんですけど、試飲してくれませんか」なんて言ってる。サンジも結局いつもと変わらぬ弟分に、嬉しそうに頷く。 いつもと同じ光景、いつもと同じやりとり。この先何があってもずっと彼らはこんな風に、変わらずエースとサンジの二人と共にあってくれるだろう。 そんな彼らの想いに答えるべく、エースもいつもの通り、コーザの襟首を引っ掴んで恋人から引き離すと、生意気な年下の脳天に拳骨を食らわしてやった。
◇ matterのコーザが好き、とか、もっとウソップとコーザを二人に絡めた話を、なんてお声を頂きまして、ちょっくら書いてみました。ほんの短い話のはずが結構長くなってしまった。色々はしょったんだけど…。それにしてもこのコーザ、どんどんオリジナルとかけ離れていく…。すでに原型をとどめていませんね。
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