さて今日は休み。特に用事もなく朝、何度寝かして起きたら10時に起きた。最近ちょっと早めに起きていたから久々の寝坊かもしれない。
最近、部屋を片づけよう!と毎日のように思ってる。でも実際には全然片づけられていない。なんか気持ちが乗らない。だから部屋が汚い。足の踏み場もないってほどじゃないけど汚い。
ずっと前から気になっている携帯があって。talbyというauの携帯なんだけど、それの発売日が決まったらしい。大阪で明日から、ほかの地域で27日から。 近所のauショップで予約しようかな?と思ってショップに行くと初回入荷分は予約で埋まってしまってるという。その次はいつ入荷するか未定、価格も未定、モックはあるけど見せられないと言う。 しかも応対の仕方が「めんどくさいなぁ」という応対で気分が悪かったから予約しないで帰ってきた。
午後は何をしたっけな。なーんにもしてない気がする…。よろしくないなぁ。
明日からまた仕事。明日はアルバイトの打ち上げで新宿で飲み。最近飲みって面倒なんだよねぇ。ご飯メインでお酒ちょこっとで良いかも。
そうそう。 今日、テレビで記憶に関する番組をやっていた。実は日記を書いたあと、とある人の日記を見ていて“記憶”という言葉があるのを見て思い出した。
記憶って、その人の人格を形成するものであり、人生であり世界でもある。 テレビに出ていた人は事故で記憶を留めることができなくなってしまった。記憶を留めていられる時間は数十分。それを過ぎれば今さっき食べたものすら忘れてしまう。 彼にとって小説もドラマも意味を成さない。ドラマは長い話だと最初の方を忘れてしまう。小説もそう。ストーリーと楽しむことができない。 外出だってできない。行き先とか行き方とか、そもそも、そこで何で行こうとしたのか、それすら忘れてしまう。
そんな状態だと人格だって上手く形成されないし、人生だってその一瞬しかない人にとって意味を成さない。そんな状態だから彼にとっての世界は記憶を留めていられる数十分だけ。 あと事故に遭う前の記憶はある。過去はあっても未来はない。
それがどんなに怖いことなのか正直よくわからない。酔っぱらって飲んだときの記憶がないのとわけが違う。
彼は記憶を留めるために、ことあるごとに日記に残している。僕は日記というものの良さを改めて知った気がした。
記憶を留めることができる人だって、時間が経てば大きな事、印象的なことしか覚えていることができない。 だったら文字として記憶を残しておくことは大切なんじゃないだろうか。こうやって今、思っていることだって文字として残さなければ来年には覚えていないかもしれない。
流れていってしまう物は一度手元でとめて置くべきだと思う。
これからは、この日記を読んでくれる人にとってはつまらないかもしれないけど、自分のためにできるだけたくさんのことを文章として残すようにしよう。
もう2時半だ。明日起きるの大変だなぁ。 |