村上春樹の小説「スプートニクの恋人」を読み終えた。 初めて読んだんじゃなくて3回目くらい。本屋で文庫が 平積みされていて急に読みたくなった。
この小説を読むといつも同じ場所で手が止まる。 文中でこんなシーンがある。 ----以下引用---- 「もしあなたが、誰かと一緒に車で長い旅行をするとするわね。 パートナーを組んで、ときどき運転を交代する。それでは そういう場合にあなたは、相手としてどちらのタイプを選ぶ かしら。運転がうまいけれど注意深くない人と、運転はあまり うまくないけど注意深い人と」 「あとの方ですね」と僕は答えた。 「わたしも同じ」と彼女は言った。「こういうのもたぶんそれと 同じものじゃないかしら。うまいとか下手とか、器用だとか 器用じゃないとか、そんなのはたいして重要じゃないのよ。 わたしはそう思うわ。注意深くなる。---それが一番大事な ことよ。心を落ち着けて、色んなものごとに注意深く耳を 澄ませること」 「耳を澄ませる?」とぼくは聞いた。 彼女は微笑んだだけで何も言わなかった。 ------------------
いつもここで手が止まる。 それについて考え始める。注意深くなること。耳を澄ませること。 耳を澄ませること?どういうのが耳を澄ませることなのか、よく わからないけど、自分の中のテーマとしてずっとある。
別の村上春樹の小説の中で、良い知らせは小さな音(声かな)で ささやかれるって書いてあった。だから、耳を澄ませるべきなのかな。
よくわからないけど、耳はいつでも澄ましていよう。 |