**幼稚な批判には応じません、メンドウだから**
よく言われるコト。
「批判ばかりしないで意見を出しなさい」
あきれてモノも言えない。
「批判を批判しなさい」
これがワタシの持論。(揚げ足を取れってコトではナイですヨ)
議論は批判から始まる。 もちろん、批判ダケしても意味はない、ソレに対して反論(批判)があって初めて意味がある。
それすらしない卑怯者と一緒にしないで欲しい。 声を上げないことは、とても卑怯だ。
と、思う。
批判を批判することは意味がないと思える。
ネットや雑誌、何を見ても批判の応酬。 なんだか人間のイヤな部分を見ているようでイヤだ。
でも、
目を背けるだけでは、そこに成長はナイ。 何か感じるものがあれば、それは意味のあることだ。 それが当事者でも傍観者でも。
なのに批判を否定する風潮。
ソレはどうか?と思う。
それは単に日和見で無責任だ。
どんな形であれ、思っていることを形にすることは意味が有る。
批判されることもあるだろう。
それでいい。
そこから何かが生まれれば。
ただ、気を付けている事がヒトツある。
「過ちを認め、教えを請う度量を持つ」
”思うところ”があったら柔軟に変えていくこと。 その途中で間違いがあり、謝る所があれば謝る。 そして話を聞き、自分にそれを取り入れる。
過ちは過ちで認めたら許してよ。
それで良くない?
”人は過ちを繰り返して成長する”って何かで聞いたことがアルぞ。
でも、
そのキモチがナイ者どうしで批判しあうと、そりゃ不毛ですナ。
ついでに。
あとヒトツ、自分に言い聞かせてることがある。
「人の話は半分に聞け」
話をした後に、やたらと納得してしまう人が多いのが気になる。 人の意見は、あくまでも人の意見なので、そのまま全部を 納得することは出来ないハズだ。(少なくともワタシは、そうです。)
しかし、
全て納得できなくても、”そうかもなぁ”と思うトコロがある。 ソコの部分を自分の中で消化して、自分自身の考えにしないと身につかない。
そのまま丸呑みはできないが、意味を自分で考えて 初めて、自分自身の考えに”昇華”する。
そう思う。
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