久々に走らせる。 好調そのもの。 反応を確かめるように流れのなかを行く。 一通り確かめたあと、「ふぅ」と一息はいて、 アクセルを軽く煽り、シフトを一段落とす。 タコは跳ね上がり、エンジンは唸りいっそう大きくする。 軽い振動を感じ、右足を少し乱暴に踏み込む。 待っていたかのように、はじかれた様に前へと進む。 あっと言う間に、日常はを遥かかなたに置き去りにする。 自分勝手な恍惚の時間に突入だ。 鼓動は激しくなり「まだイケる」と、自分を奮い立たせて行く。
やはり高速域での軽さはコノ車の特筆モンだ。 それに、ヤレて来ているとは言え、剛性の高さ。 加速時の安定感に欠ける感じがするが、 それは”鋭さ”と”軽さ”が大きいからだろう。
ブレーキング時の安定感は、加速時の迷いをたち切る。 それは良いブレーキをつけているコトとは違う。 よく効くことも大事だが、イチバンなのは安定しているコトだ。
状況の変化、変動をより伝達してくれる。 危なさを正確に”危険だ”と伝えてくれている。 部品を変えれば性能としての制動力は上がる。 でも、崩れたバランスは制動時に不安を与えることとなる。 それをカンジさせないパッケージの素晴らしさをつくづく感じる。 残念ながら、この感覚は、その速度域に立ち入らないと分からない。 普段は必要ないチカラ。
そして、そのチカラ、世界に陶酔する。
”危険感”は、ワタシのような人間には必要だろう。 無意味な安定感は、度量以上の状況を引き起こす。 「イヤなカンジ」は、とても必要なことです。
でも、
その「イヤなカンジ」を感じないクルマが多い。
快適さ=何も感じない
それは危険だ。 高級車ほどそうだ、飛ばしていても感じない。 感じられない。 カーブで突然気が付いたりする。 それを機械的に抑え込んだりする。
抑えきれないとき、そこには人間の介入する余地はない。
それは何よりも危険だと思う。
”そういうクルマ”ほど危険であるべきだ。 正確には、危険は「危険」だと素直に伝えるべきだと思う。 乗っている人間に危険を感じさせないクルマは、ソコにあるべきではない。 楽しさだけ伝える車なんてものは、危険極まりないと思う。 物事は、そんなに都合の良いものではない。 常に”ギブ アンド テイク”なんだと思う。
しかし、そのカンジを情報として受け止められなくなってきた。 イロイロと考えてしまうのだ。
それが一般的には”潮時”と言うのかもしれない。
たしかにその通りだ、一時の快楽のために、非常に大きなモノを掛けている。 それに気が付いたときに、失うものの大きさに躊躇する。
そこで引くことこそが勇気なのだと言う。 それは否定しない。
でも、ワタシは、まだ引かない。
「昔のようにはやれない」
そのコトにジレンマを感じて悩む。 悩み続けてきた。
ずいぶんと情熱は失ってしまった。 しかし、それは日常に昇華してきたコトでもある。
気が付けば、なんてコトはない。
出来ないのなら、やらなければヨイ。
それが、ワタシのスタンスなのだから。 悩むほどの意味のあるコトでもない。
でも、
意味の無いコトほど、面白く。 意味の無いコトほど、大事だったりしないか?
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