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裁判資料に登場する人名を追ってきた結果
1 この裁判は、元陸軍幹部連中 VS 民間人資産家による教団資産ぶん取り合戦の様相。しかも、元軍人の方が、謀略にたけていた。
2 御神体は、市販品の時計。
3 もと同級生の集まり。ということを念頭に入れて教団を評価すべし。青春時代から、寄宿舎制の学校で寝食を共にした同級生幹部にとって、心底、光玉を自分達とは違う「神」と信じられるか?人間の心理として、特に彼等はエリートの誇りがあると思うので光玉への心酔は、なかったと思う。
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「暴かれた真光」 3.崩壊しつつある真光の基礎6頁に 「1957年(昭和32年)までは、S界救S教に所属して密接な関係を保っていたが。この頃、彼は妻と離婚している。S界救S教の熱心な信者であり、岡田氏に付き従ってS界救S教を去ったある一つのファミリーに所属し、後に岡田氏の養女となった、井上甲子という若い女性は、後に真光の指導者である岡田恵珠女史として知られるようになった。」 とあるが、この頃、岡田光玉自身の手による経歴陳述(家族歴)が残っているので、それを次に見てみよう。 岡田光玉自身による、家族歴の記述。
防衛庁の防衛研究所内、戦史資料閲覧室にある。公的機関なので、市民の閲覧可能。開かれた資料室なのだ。
昭和三十六年十月第三十四期生会々員名簿
P12 氏名 岡田竜道(良一)と先ずあり、 2−2Gi と初隊号が記され、近衛士官であったことがわかる。 さらに興味深いのは勤務先。 L・H陽光子友の会々長 多田建設KK顧問 と記載。 問題の家族であるが、 妻亡、二女(長嫁 次女幸子) これは、このくい違いは、何を意味するのか。 断っておくが、この名簿は、手にとればわかるように、戦友の無事や消息を確認するための大切な名簿、友情の感じられる名簿なのである。粗末な紙に、几帳面に書かれた同級生の生死と現況の確認。今の業者に頼む名簿の感覚とは違う。そこで、こういう記述は何を意味するのか。
なお、意外な発見もあって、三好達治の名が同期として載っている。あの詩人の三好達治だと思うが、職業は、やはり、著述業と自己申告されていた。
靖国問題の迫っているこの時期に、観念的には語れない、士官学校の片鱗を書き込んでいくのは何なのだろう。
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