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最終更新日:2002.10.01 HOME
国内出版物における情報
国内出版物における情報を集めました。
目次
・「新興宗教の正体」 早川和廣著 あっぷる出版社 ・「新興宗教教祖のウラの裏がわかる本」 早川和廣 ぴいぷる社 ・防衛庁戦史資料閲覧室、第三十四期生会々員名簿: 岡田光玉氏の家族 ・「無私の愛よ永遠に」平成二年刊 −たま出版、瓜谷社長の証言− ・「特集、八王子に四十五万坪を買った○○真光」 週刊新潮1995、04・27号 ・「日本ばちかん巡り」山口文憲/著 ・「生命の實相」第8巻: 生長の家の「神想観」と真光の「神向き妙法見実相観」の酷似 ・「カルト宗教のトラブル対策 日本と欧米の実情と取り組み」 教育史料出版会 ・「S界真光文明教団に対する奉納金返還請求を却下−地裁沼津支部」 静岡新聞 ・「元幹部らに賠償命令 奉納金めぐる真光文明教訴訟で教団側主張通る−地裁沼津支部判決」 静岡新聞
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「新興宗教の正体」 早川和廣著 あっぷる出版社 (絶版)
真光立教前の裏話が載っているという。
<抜粋> 「岡田良一氏は戦時中に山梨県大月市に疎開したが、そこで井上甲子さん(S4.12.16生)と出会った。世話になったのが彼女の実家の2階である。彼女は当時大月市民病院の看護婦をしていた。良一氏はそこで世界救世教を知り、戦後に救世教を頼って上京した。」 他にも同書には、教団分裂時のことが公平な観点が描かれているという。10年近くにわたる裁判と中傷合戦に嫌気が差して去っていった信者も多いとあるらしい。
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「新興宗教教祖のウラの裏がわかる本」 早川和廣 ぴいぷる社 1988.11.25 P165
<以下抜粋>
晩年の岡田光玉は宗教者には似つかわしくない贅沢に溺れ、金銀財宝を身につけていたという批判の声もある。だからこそ、せっかくの真光の業がありながら、天寿をまっとうすることなく、73歳で病没してしまったというのである。
初代教え主亡き後、分裂した両派にゴタゴタ騒ぎが絶えないことは、結局のところ、教団幹部連中に教団を率いる資格などないという事実を物語るものといって差し支えあるまい。
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防衛庁防衛研究所内、戦史資料閲覧室 昭和三十六年十月、第三十四期生会々員名簿
岡田光玉氏には妻と実の娘がいると言われていたが、以下の資料から、それが確からしいことがわかる。
岡田光玉氏の家族については、○○真光信者は一切知らされていない。ただし、長女は昭和62年(1987年)に発足した陽光子友乃会で研修を受け、平成3年(1991年)前後の陽光子友乃会のみ祭りに来賓として招かれ、信者に紹介されたと言われている。岡田光玉氏によく似ていたという。
また、この昭和36年(1961年)の資料では、「妻亡」とあり、妻の死亡を意味すると思われる。しかし、「3.崩壊しつつある真光の基礎」によると、光玉氏は昭和28年(1953年)から昭和32年(1957年)ぐらいまでの時期に妻と離婚したと言われており、離婚したことを隠すために「妻亡」としたのか、あるいは妻は本当に死亡していたのか、定かではない。
防衛庁防衛研究所内、戦史資料閲覧室 昭和三十六年十月、第三十四期生会々員名簿 P.12 氏名 岡田竜道(良一)、 初隊号 2−2Gi (近衛士官) 勤務先 L・H陽光子友の会々長、多田建設KK顧問 家族 妻亡、二女(長嫁 次女幸子)
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