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金曜の夜、仕事から帰宅すると同時に 部屋の電話が鳴った。大学時代の友人からだった。 社会人になって初めて弱音を吐いた。
繕った自分が受け入れられないのが怖くて、 さらに取り繕っては失敗するという悪循環。 何をするべく今の道を選んだのだろう。
*********************************************************** 先週末、レコード店で流れる朝比奈隆指揮 チャイコフスキー第4番を衝動買い。 9年前の冬演奏会に向けこの曲を練習したことを思い出す。 ブラスの曲と違って他の金管同様にしっかりとホルンが 目立つこの曲が、なかでも4楽章のホルンのソリの旋律が 好きで、普段は嫌いな練習もこの曲のときだけは楽しかった。
あのときは、どこに向かって進んでいたのだろう。 あの頃の僕に出会ったら、今の僕はきっと 叱られてしまうだろう。理由はわからない。 けどきっと怒られるような気がする。
*********************************************************** 想像力の欠如した、「思考」していない自分勝手な人間 −つまり僕がもっとも嫌いなタイプの人間− は他でもない僕自身であると思えてならない。 いろいろな意味で今つまづいている。 すべては自分の過去の行動の結果であると認識は しているのだけれど。 今のままでは自分の限界が近づきつつあるように思う。
過去に対する確信が「自信」であり、 未来に対する確信が「希望」であるならば、 すべてに対して確信を持てず 前に進むちからを失った今の僕は 翼をもがれた鳥のように地面で じたばたして息絶えるのを待つだけだ。
すべてがふわふわした状態で地に足が着いていない状態で、 ただただ時に流されるようにここまでやってきた。 努力を怠る自分に対して「忙しい」という言い訳をして ちゃらんぽらんでやってきた。これではいけない。
同世代の人々と同じ時間を生きてきたはずなのに さまざまな面で遅れをとってしまっている。 自分の信念を貫いてきたつもりでも、 それは単なる他人の信念だったのかもしれない。
過去は美化されて残るものだから忘れてしまった のだろうけれど、きっとこういう状況は過去にも あったはず。しばし自分と向き合えばそして努力を すれば一歩でも前に進めるようになれると思うし、 そうしなくちゃいけない。
*********************************************************** 「あの子を探して」は、観ていてなんだかもどかしかった。 クライマックスのシーン、 ブラウン管に映る幼い少女の流す涙を見て それまでのもどかしかった思いが消え、 同時に自分が恥ずかしくなった。
ひたすら要領のよさだけを求めて生きている自分は 会えるとも知れない見知らぬ人を丸2日間もテレビ局の前で 待つこの少女のような熱情を持ち合わせているだろうか。 今の自分に足りないのはこの少女が見せてくれた 愚直なまでのひたむきさなんだと、チャンイーモウに 気づかされた。
この5ヶ月間は素直に反省しなくてはいけない。 謙虚さが、想像力が、そして何より ひたむきさが足りなかった。
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