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2002年09月07日(土) あの子を探して

金曜の夜、仕事から帰宅すると同時に
部屋の電話が鳴った。大学時代の友人からだった。
社会人になって初めて弱音を吐いた。

繕った自分が受け入れられないのが怖くて、
さらに取り繕っては失敗するという悪循環。
何をするべく今の道を選んだのだろう。

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先週末、レコード店で流れる朝比奈隆指揮
チャイコフスキー第4番を衝動買い。
9年前の冬演奏会に向けこの曲を練習したことを思い出す。
ブラスの曲と違って他の金管同様にしっかりとホルンが
目立つこの曲が、なかでも4楽章のホルンのソリの旋律が
好きで、普段は嫌いな練習もこの曲のときだけは楽しかった。

あのときは、どこに向かって進んでいたのだろう。
あの頃の僕に出会ったら、今の僕はきっと
叱られてしまうだろう。理由はわからない。
けどきっと怒られるような気がする。

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想像力の欠如した、「思考」していない自分勝手な人間
−つまり僕がもっとも嫌いなタイプの人間−
は他でもない僕自身であると思えてならない。
いろいろな意味で今つまづいている。
すべては自分の過去の行動の結果であると認識は
しているのだけれど。
今のままでは自分の限界が近づきつつあるように思う。

過去に対する確信が「自信」であり、
未来に対する確信が「希望」であるならば、
すべてに対して確信を持てず
前に進むちからを失った今の僕は
翼をもがれた鳥のように地面で
じたばたして息絶えるのを待つだけだ。

すべてがふわふわした状態で地に足が着いていない状態で、
ただただ時に流されるようにここまでやってきた。
努力を怠る自分に対して「忙しい」という言い訳をして
ちゃらんぽらんでやってきた。これではいけない。

同世代の人々と同じ時間を生きてきたはずなのに
さまざまな面で遅れをとってしまっている。
自分の信念を貫いてきたつもりでも、
それは単なる他人の信念だったのかもしれない。

過去は美化されて残るものだから忘れてしまった
のだろうけれど、きっとこういう状況は過去にも
あったはず。しばし自分と向き合えばそして努力を
すれば一歩でも前に進めるようになれると思うし、
そうしなくちゃいけない。

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「あの子を探して」は、観ていてなんだかもどかしかった。
クライマックスのシーン、
ブラウン管に映る幼い少女の流す涙を見て
それまでのもどかしかった思いが消え、
同時に自分が恥ずかしくなった。

ひたすら要領のよさだけを求めて生きている自分は
会えるとも知れない見知らぬ人を丸2日間もテレビ局の前で
待つこの少女のような熱情を持ち合わせているだろうか。
今の自分に足りないのはこの少女が見せてくれた
愚直なまでのひたむきさなんだと、チャンイーモウに
気づかされた。

この5ヶ月間は素直に反省しなくてはいけない。
謙虚さが、想像力が、そして何より
ひたむきさが足りなかった。


おじゅん |MAILHomePage

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