エンターテイメント日誌

2007年02月03日(土) 檀れい、あるいは楊貴妃の再来

檀れい(「壇」じゃありません)は美しいひとだ。1999年に宝塚大劇場で月組の娘役トップとしてデビューした「螺旋のオルフェ/ノバ・ボサ・ノバ」を観劇して以来、筆者は彼女のファンである。東京の日生劇場で観た「風とともに去りぬ」のメラニー役も良かったが、なんといっても絶品だったのは星組に組替えになって主演した「王家に捧ぐ歌」(宝塚版アイーダ)である。彼女が演じた王女アムネリスの匂いたつ気品、高貴な色香、凛とした佇まいには圧倒された。DVDが発売されているので疑わしいと思う人は是非観てほしい。

檀れいはダンスが苦手だ。歌もあまり上手くない。演技力があるわけでもない。しかし、それらの欠点を補って余りある美貌が彼女の最大の武器だ。美は全てを超越する。それさえあれば充分だ。清く正しく美しく〜それがタカラジェンヌの基本である。

9割強を女性が占める宝塚ファンの多くは男役しか眼中にない。だから美貌の娘役は嫉妬の対象となり激しいバッシングを受ける。圧倒的人気を誇った大地真央の相手役だった黒木瞳がそうだった。剃刀の刃が入った封書が送られてくることなんか日常茶飯事だったそうだ。檀れいも在団中は激しい攻撃の的となった。しかし彼女は負けなかった。歌劇団の中国公演では絶賛を博し、「楊貴妃の再来」とまで呼ばれた。

彼女の退団後、すぐにアプローチしてきたのが山田洋次監督である。山田洋次の壇れいに対する賛美も凄まじいものがある。まあここを見て欲しい。「武士の一分」の彼女も本当にため息が出るくらい美しかった。文句なし、新人賞総なめも当然である。

山田洋次が日本共産党支持者であることは有名で、その左翼イデオロギーが映画に顔を出すとウンザリする事が多い。「隠し剣 鬼の爪」でも理不尽な封建制度への怒りとか軍隊批判とか、どうでもいい主張が鼻についた。しかし、「武士の一分」ではエンターテイメントとしての映画作りに専念しており、予想外に出来が良かったと思う。正当な評価としてはB+なのだが…、う〜ん、檀れいに目が眩んでAにしておこうか。

とにかく観客の予想を裏切らない予定調和の安心感が心地よい。時代劇の定番である悪代官が登場した時はやんややんやの喝采を送りたくなった。檀れいに優しい言葉をかけようが、もう見るからにそういう顔をしているんだから笑っちゃった。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]