2006年10月08日(日) |
本屋大賞と夜のピクニック |
筆者は2月24日の日誌で、映画公開前の「夜のピクニック」文庫化を予言したが、見事に的中した。映画にリンクして文庫もベストセラーになっている。
恩田陸という人は次から次へとアイディアが泉のように湧いてくる稀代のストーリーテラーで、多作な小説家だがその中でも「夜のピクニック」は一、二を争う傑作だと思う。あと彼女の作品で良いのは「六番目の小夜子」と「麦の海に沈む果実」ね。
恩田陸の悪い癖は大風呂敷を拡げるだけ拡げといて収拾不能になり、物語が中途半端に終わってしまうことがよくあるのだが、本屋大賞を受賞した「夜ピク」はそんなことが全くない。それはこの本で描かれているのが彼女の出身校である茨城県立水戸一高で実際毎年行われている<歩く会>を題材にしていることと無関係ではあるまい。リアリティがあるのである。映画はその<歩く会>の歩行ルートを忠実に再現しているという。
それにしても本屋大賞、一回目の受賞が「博士の愛した数式」で「夜のピクニック」「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン」がそれに続くわけだが打率10割、ハズレなしだ。受賞作全てが映画化されているというのも凄い。
で映画「夜ピク」なのだが、端的に言えば優れた素材(原作と役者)をクリエイター(脚本と演出)が生かし切れていないということになるだろう。映画の出来そのものはDが妥当だがヒロインの多部未華子ちゃんが可愛いのと石田卓也以下その他の若い役者たちが好演しているのでC+とする。
多部未華子を初めて観たのは大林監督の「理由」である。決して絶世の美少女とはいえないが、そのふて腐れたような顔が何故が印象の残る女の子だった。そして「夜ピク」で彼女は見事に花開いた。ひたむきで真っ直ぐなその眼差しで彼女はヒロイン・甲田貴子を生きた。
監督の長澤雅彦の演出力のなさは救いようがない。原作の主題は「ただ歩くだけなのにどうしてこんなにも特別なんだろう」ということ。例えば体育祭の看板作り、あるいは合宿でする徹夜のトランプ。意味がないことを仲間と一緒に一生懸命する、それこそが青春なのである。しかしその本質を長澤は全く理解していない。歩くだけを淡々と描いたのでは観客が退屈するのではないかと余計な心配をして回想シーンやヒロインの空想をアニメにして挿入し、作品の雰囲気をぶち壊している。これらをカットすれば映画の出来が随分マシになるのだが。
あと「夜ピク」のクライマックスの音楽が岩井俊二監督の最高傑作「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と瓜二つだなぁと想って観ていると、なんと音楽担当がどちらもREMEDIOSだったので笑った。金太郎飴かよ!?
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