エンターテイメント日誌

2006年02月04日(土) 本屋大賞と博士の愛した数式

直木賞がまともな作品に贈られていたのは「マークスの山」(平成5年)「テロリストのパラソル」(平成7年)あたりまでである。もうそれ以降はとんちんかんとしか言いようがない。浅田次郎の大傑作「蒼穹の昴」を第115回で落選しておいて第117回に駄作「鉄道員」で受賞させてみたり、第115回に京極夏彦の「嗤う伊右衛門」を落とし第130回で「後巷説百物語」を選んでみたり。これ、巷説百物語シリーズの第3作目なんだよね。何で1作目、2作目を無視してこれに直木賞あげるの?変でしょう。いままで京極にあげ損なっていたことへのお詫びという以上の意味は見いだせない。遅すぎるんだよ。時代に取り残されている。無能な審査員たち(渡辺淳一、林 真理子、平岩 弓枝ら)を一新すべきだ。

平成10年の宮部みゆき「理由」や平成12年の船戸与一「虹の谷の五月」も決して彼らの代表作ではないし、世間の評価が確立した作家に今更ながらに賞を与えて一体全体何の意味があるのか?その点平成4年に船戸与一に「砂のクロニクル」で、平成5年に宮部みゆきに「火車」で受賞させた山本周五郎賞の方がよっぽど先見の明がある。もう一度言う。直木賞は地に落ちた。
 
直木賞にも危機感はあるのだろう。今年の受賞者、東野圭吾の「容疑者Xの献身」は妥当な選択ではあった。しかし、「このミステリーがすごい!」「週刊文春」「本格ミステリ・ベスト10」で1位を総なめにした小説だから、やはり今更感が強い。どうせ東野圭吾に与えるのなら、平成11年に「白夜行」が候補になった時点で決断すべきだったろう。あれこそが彼の最高傑作なのだから。それか平成15年に「手紙」が候補になった時こそ”手遅れ一歩手前”のラスト・チャンスだったのに。

直木賞が迷走する中、頭角を現してきたのが本屋大賞である。第1回目の受賞作が小川洋子の「博士の愛した数式」で第2回が恩田陸の「夜のピクニック」。打率10割、2打席連続場外ホームランである。見事な選球眼、さすが本屋さんの目は確かだ。「博士の愛した数式」は映画化され、これも大傑作。筆者の評価はA+である。原作は映画公開数ヶ月前に文庫化され、連鎖反応で100万部突破の大ベストセラー。新潮社は上手い商売をした。映画「夜のピクニック」も既に完成し、公開を控えている。あっ、これも新潮社だ。賭けても良いけど、きっと公開2,3ヶ月前に文庫化されるな。是非また儲けて下さい。映画版、今から楽しみで楽しみで待ちきれない気持ちである。11月公開予定なんて遅すぎる!!多分、文庫化の時期との絡みでそういうタイミングなんだろう。

さて、映画「博士の愛した数式」のお話を少しだけ。これは原作を上回るといっても過言ではないくらいの圧倒的出来映えである。原作を予め読んでいて物語を知っているのに映画中盤からぼろぼろ涙が溢れてきて止まらなかった。特に見事な脚色だったのは、原作ではエピローグでしか登場しない成人となった”ルート”を映画冒頭から登場させ、ルートの数学講義と平行して博士の物語を描くという手法である。その処置によって、この作品の主題である数式の美しさがより一層際立つ効果をもたらした。

寺尾聡の演技は勿論素晴らしいのだが、特筆すべきは深津絵里であろう。彼女は生涯最高の演技をこの映画で披露した。もう完璧、文句のつけようがない。家政婦、杏子がまるで原作から抜け出したようというか、+αの鮮烈な人物像をうち立てて予想を遙かに超える感銘を受けた。打ちのめされたと言い換えても良い。

可笑しくて吹き出してしまったのは寺尾聡と浅丘ルリ子が能を観る場面である。ふたりの直ぐ側で、やたらと瞬きをして観ているおばさんがいるなぁとよくよく見ると原作者の小川洋子だった。よっぽど緊張していたんだろう、それはもう異常な回数の瞬きであった。彼女と比べると寺尾も浅丘もほとんどしないので、役者ってさすがだなぁと感心した。それにしても監督やスタッフも「小川さん、もっとリラックスして」とか声を掛けてあげればいいのに。遠慮して言えなかったんだろうな。まあ、微笑ましくも愛おしい場面であった。

さて、第3回本屋大賞の候補作はこちらをクリック。「容疑者Xの献身」も入っているが、全国の書店員さんたちは愚かな選択はしないだろう。だってもう既に売れているし。直木賞を既に獲った奥田英朗もないな。やはりここは今が旬の伊坂幸太郎くんでしょう。それか直木賞で不当な評価しか得られなかった傑作「ベルカ、吠えないのか?」を大穴としておきましょう。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]