2004年09月11日(土) |
<LOVERS>あるいは<続・初恋のきた道> |
鈴木清順監督「オペレッタ狸御殿」のお姫様役に引き続き、「シカゴ」のロブ・マーシャル監督によるハリウッドのゲイシャ映画「さゆり」のヒロイン役を見事射止め、飛ぶ鳥を落とす勢いのチャン・ツィイーだが、彼女の映画デビュー作はチャン・イーモウ監督の「初恋のきた道」である。
この映画を観て仰天したのはイーモウは今までの作風を捨てて、完全なアイドル映画を撮ったということである。嘗めるようにカメラがツィイーに肉薄し、アップやスローモーションを多用したそのスタイルは、まるでアイドルのプロモーション・ビデオを観ているかのようであった。現代の場面を白黒にし、彼女が登場する過去の場面だけカラーにするという発想も、明らかにツィイーの可愛さを引き立たせるため以外の目的などあろう筈がない。
「初恋のきた道」を観て即座に連想するのは、先日女子中学生買春で逮捕された今関あきよし監督の「アイコ16歳」(富田靖子 主演)とか原将人監督の「20世紀ノスタルジア」(広末涼子 主演)などである。原監督は<広末涼子は女優菩薩である>なんて発言しているのだから凄まじい。イーモウがツィイーに注ぐ眼差しは正にこれに近い。
で今回の新作「LOVERS」なのだが、これは明らかに「初恋のきた道」の発想の延長線上にある。如何にしてツィイーを可愛らしく、奇麗に撮るか、イーモウにはそのことしか頭にない。ツィイーは劇中、何度も衣装を着替える。冒頭の舞の場面だけでも途中衣替えがあるのである。正に七変化。ワダエミの衣装が素晴らしい。今回は青や緑の色彩が濃厚なのだが、それだって「初恋のきた道」のツィイーの衣装はピンクや赤系統が中心だったから、今度は青を着せてやろうかなぁ〜という意図が透けて見える。おまけに今回はツィイーの麗しい男装姿や水浴み場面も拝められ、サービス満点。いやはや・・・
一方のアンディ・ラウは冒頭から最後まで衣装は一着のみ。おまけに映画のクライマックスでは背中に飛刀が刺さったままの間抜けな姿で戦うのである。実に情けない。観ていて気の毒である。香港の大スターがよくぞこんな仕事を引き受けたものだと感心するが、世界的巨匠だった(過去形)チャン・イーモウ監督の作品にどうしても出たかったんだろうね。でもラウのファンがこの映画を観て激怒する気持ちは良く理解できる。
「LOVERS」はある意味トンデモ映画である。映画に張られた伏線が結局最後まで放置され、であの話はどうなったの??という疑問符が炸裂する。まるで「新世紀エヴァンゲリオン」や「ツイン・ピークス」「マトリックス」状態である。たとえば物語の背景となる飛刀門と朝廷の討伐軍との戦闘の結末はどうなったのか?ツィイーが飛刀門に身を投じる切っ掛けとなった<恨み>とは一体なんだったのか?それらのことが全く描かれない。顔を隠した飛刀門の新頭目とは結局何者なのか?という疑問も解決されないまま。
実は新頭目には当初アニタ・ムイがキャスティングされていたそうである。しかし彼女が急死したとの訃報をロケ地で聞いたチャン・イーモウとスタッフは全員で黙祷をささげ、イーモウは代役をたてないことを言明し脚本を修正。そして<アニタ・ムイに捧ぐ>というクレジットを映画に挿入した。でもさ、そんな事情って映画の観客には全く関係ないことじゃない?特に日本人や欧米人にとってはアニタ・ムイって誰?って感じだし。代役を立てないというのは全く内輪だけの事情。それって<自主映画>の発想でしょ。これって世界のマーケットに出す<商業映画>じゃないの?
多分チャン・イーモウの心をよぎった気持ちは以下の通りである。 「ま、いいか。新頭目がだれかなんてツィイーとは関係ないし。飛刀門と朝廷の決戦まで描いていたら彼女の出番が減っちゃうからな。やめたやめた。」
映画のラスト、金城武とラウが決闘する場面でアクションの最中、それまで周囲は秋の紅葉だったのに何故かCGで描かれた雪が降り出して、突如として大雪が積もった光景に一変する。これ、実は可憐な白菊の咲き乱れる中で撮影される予定だったのに、ある日ウクライナのロケ現場に行ってみると季節はずれの大雪で雪野原に変貌していたのでスタッフ一同唖然。やむを得ず脚本を変更したそうである。でもさぁ、それって変じゃない?新たにロケ地を探せば問題解決でしょ。大作なんだから資金だってあるんだし。
しかしイーモウの頭にはそんな発想の転換はなかったんだろう。きっと彼はこう考えたに違いない。 「ま、いいか。どうせツィイーの見せ場じゃないんだし。とっとと撮影済ませて次いこう。」
まぁ、「幻の湖」みたいなトンデモ映画としてみれば腹も立たない。撮影・美術・衣装の美しさは傑出しているし、ツィイーの魅力炸裂なので全体の評価としてはC+くらいが妥当かな。
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