エンターテイメント日誌

2003年11月23日(日) 何故駄目なのか? g@me.

映画g@me.はミステリ小説の名手、東野圭吾氏の「ゲームの名は誘拐」が原作である。まず東野さんの小説ならば「白夜行」や「手紙」「名探偵の掟」など、もっと映画化すべき優れた作品があるだろうにという忸怩たる想いが先行する。小説「ゲームの名は誘拐」の評価は東野ファンの間でも余り芳しいものではない。

筆者は敢えて原作を読まずに映画に臨んだのだが、前半の誘拐はさすが東野作品と思わせる緻密な犯罪計画で唸らされ、手に汗握る展開だったのに人質解放以降様相が一変する。成田空港の場面などあまりにも計画が杜撰すぎて同一人物の頭脳で考えられたものとは到底思えない。落差がありすぎるのだ。帰って調べてみたら案の定、人質解放以降の物語展開は映画のオリジナルであった。

ミステリ小説はしばしばパズルに喩えられる。それだけプロットが綿密に構成されており、当てはめるべきピースの一欠片が異なっても全体像が崩壊するのである。だからミステリを映画化する大原則はプロットを下手にいじくらないことに尽きる(その禁を犯して大失態を演じたのが高村薫原作「マークスの山」であり、宮部みゆき原作「模倣犯」である)。g@me.の脚色を担当した尾崎将也は今回の失敗でこのことを肝に銘じるべきである。あんたの悪い頭では東野さんの明晰な頭脳には到底敵いっこないの!判った!?

g@me.でもうひとつ文句を言いたいのがその画質である。井坂聡監督は前作「ミスター・ルーキー」でソニーのHD24pハイビジョンカメラを使用しているので今回も同様と考えられるのだが、ビデオ撮りをキネコ(←意味を知りたければクリック!)にした映画って、画面が非常に汚いんだよね。特にその欠点が露呈するのが空の描出力である。フィルムで鮮やかに表現できるあの抜けるような青空が、キネコでは色が飛んでくすんだ曇り空になってしまうのである(森田芳光の「模倣犯」がその典型例)。g@me.でも日の光は差しているのに全編曇り空。もう勘弁してよ。デジタル技術がさらに進化するまで東宝は自社作品をHD24pで撮るのを中止して、フィルム撮影に戻すべきである。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]