エンターテイメント日誌

2003年11月15日(土) テレビドラマの黄金期と阿修羅のごとく<前編>

山田太一 「男たちの旅路」1976-1982 NHK
     「岸辺のアルバム」1977 TBS
向田邦子 「阿修羅のごとく」1979-1980 NHK
     「あ・うん」1980-1981 NHK
倉本聰  「北の国から」1981 フジテレビ
     「昨日、悲別で」1984 日本テレビ
市川森一 「黄金の日日」1978 HNK
     「淋しいのはお前だけじゃない」1981 TBS

これらの傑作ドラマたちがブラウン管を彩った、1970年代後半から80年代前半までの約十年間が、まぎれもないテレビドラマの黄金期であった。

そして1981年(昭和56年)8月22日、向田邦子が台湾への取材旅行中の飛行機事故によって不慮の死を遂げた頃から次第に暗雲が垂れこめ始め、お洒落な外面だけで中身は空疎なトレンディ・ドラマの台頭、「高校教師」などあざといスキャンダリズム、ハッタリでしかドラマが書けない野島伸司の出現などでテレビドラマは破壊し尽くされ、跡には荒廃した原野のみが残った。その再生には「王様のレストラン」などの三谷幸喜、「木更津キャッツアイ」などのクドカンこと、宮藤官九郎ら小劇場出身の脚本家によるニューウェーブ・コメディの台頭するまで、実に二十年近くも要すことになる。そして2004年、少年の日に「黄金の日日」を観て、将来大河ドラマを執筆することを憧れた三谷幸喜が満を持して大河ドラマ「新撰組!」に挑戦する。まさにテレビドラマ・ルネッサンス(=再生)時代の到来である。

話を元に戻そう。黄金期のなかでもとりわけ燦然と輝いているのが「阿修羅のごとく」である。ある意味テレビドラマが描き得た究極の到達点、マイルストーン(里程標)。向田邦子の前に向田邦子なく、向田邦子の後に向田邦子なし。昭和の家族のあり方を描き、女の業を抉り出す。その台詞の一言一言が、一見何気ないようでいて、刃のごとく心にグサリと突き刺さる。ドラマに出演した風吹ジュンは以前「阿修羅のごとく」についてこう語った。「向田さんはこの作品を通して男たちに復讐したんだと想う。」…けだし至言である。これを観た男たちはドラマの登場人物である鷹男の台詞のように一様にこう呟くしかないだろう。「女はホント…阿修羅だよなぁ。」

以下次回の日誌に続く...


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